大峯奥駈道の歴史
大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)は8世紀初め、修験道の開祖、役小角(えんのおづぬ)により、吉野山と熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)を結ぶ修験道の修業場として開かれたといわれています。これらの行場を巡るには二通りあります。本宮(ほんぐう)から吉野に向かう順峯(じゅんぷ)と、吉野から本宮に向かう逆峯(ぎゃくふ)で、それぞれには主宰する宗派があります。順峯は、金峯山修験本宗の金峯山寺(きんぷせんじ)や本山修験宗の聖護院(しょうごいん)<本山派>、そして逆峯は、真言宗醍醐寺三宝院(だいごじさんぽういん)<当山派>です。近世以降は熊野詣(くまのもうで)の衰退に伴い、両派とも吉野から入るのが一般的とされています。しかし、順峯は那智山、青岸渡寺(せいがんとじ)にて復興され、今日でも行われていますので完全に途絶えたわけではありません。そして、今でも大峯奥駈道は修験道の行場となっているのです。
遺産登録など
ユネスコ世界遺産(2004) 紀伊山地の霊場と参詣道
大峯奥駈道の見所
大峯奥駈道(史跡)
大峯奥駈道は、全長80数kmあり、熊野古道の中でも最も険しいルートです。大峯山の山上ヶ岳や弥山、八経ヶ岳、釈迦ヶ岳など標高2000m近い山々の尾根をたどります。今なお多くの修験者たちが厳しい修行を行っています。
玉置神社横
案内
<大峯奥駈道>