金峯山寺の歴史
金峯山寺(きんぷせんじ)の始まりは、、7世紀末、修験道の開祖、役小角(えんのおづぬ)が開創したといわれています。正確な情報はわかっていませんが、役小角は金峯山(奈良県の大峰山脈のうち吉野山から山上ヶ岳までの連峰の総称)を道場として修業され、蔵王権現(ざおうごんげん)を感得した(祈りによって出現させた)ものとされ、そのお姿を桜の木で刻み、山上ケ岳(現:大峯山寺本堂)と山麓の吉野山(現:金峯山寺蔵王堂)に祭祀したのが始まりとされています。その後、明治政府の時に修験道が禁止され一時廃寺になりましたが、天台宗系の寺院として復興し、さらにその後、修験道の復興により金峯山修験本宗(きんぷせんしゅげんほんしゅう)として修験道の根本道場となりました。
宗派・本尊など
宗派: 金峯山修験本宗(修験道) 総本山
本尊: 蔵王権現3駆
ユネスコ世界遺産登録(2004) 紀伊山地の霊場と参詣道
金峯山寺の見所
黒門
金峯山寺の総門です。
銅鳥居(かねとりい)〈重文〉
仁王門(国宝)
高さ20mにもなる楼門です。本堂(蔵王堂)とは逆の方向の北を向いて立ってます。それは、京都・大阪方面から逆峯(吉野から熊野本宮まで大峯奥駈道を踏破すること)する人を迎え入れるためで本堂(蔵王堂)は、大峯山から人を迎え入れる為です。(順峯-熊野本宮から吉野に向かって踏破すること)
本堂<蔵王堂(ざおうどう)>(国宝)
金峯山寺本堂は、修験道の根本道場です。現在の建物は安土桃山時代の建立で、中には本尊、三体の蔵王権現が安置されています。木造建築では奈良、東大寺に次ぐ大きさで、国宝に指定されています。
四本桜
本堂(蔵王堂)の手前には四本桜があります。ここは1333年に大塔宮護良親王が北条勢に攻められたとき、吉野落城を覚悟して酒宴をされた場所です。
南朝妙法殿
後醍醐天皇(ごだいごてんのう)が、一時的に使われていた実城寺の跡に建立されたものです。南朝四天皇とその忠臣の霊が祀られています。
蔵王堂遠景
吉水神社より
その他
金剛蔵王大権現<こんごうざおうだいごんげん>(重文)
開祖、役小角(えんのおづぬ)が感得した(祈りによって出現された)ものとされる、金峯山寺の本尊です。本堂が復興された1592年頃の制作と思われます。釈迦如来、千手観音、弥勒菩薩の三尊が、過去、現在、未来を意味し、この世に生まれ、精進して生き抜く事で生じる迷いから救済するため、仮の姿となり悪魔降状の相で出現されたのが、蔵王権現です。中尊が7mを超える大きさで、通常は秘仏で拝観はされていません。
修験道
修験道は役小角(えんのおづぬ)が開創されたと伝えられています。修験道とは日本古来の山岳信仰が神道、仏教、道教などと習合し、日本独自の宗教として発達をとげた独特の宗教といわれています。大自然の霊気の中で自己を見つめ、修行と反省の中に人間完成の道をもとめる実践型の宗教です。吉野山から大峯山、熊野にかけての山々が、大きな信仰を集め、大峯山に至る玄関口が、ここ金峯山寺に当たります。現在でも多くの人が、山岳道場に入り、自己形成の修業を行っています。
案内
〒:639-3115
所在地:奈良県吉野郡吉野町吉野山2500
℡:0746-32-8371