醍醐寺の歴史
874年、醍醐寺(だいごじ)は空海の孫弟子、理源大師・聖宝(しょうぼう)が上醍醐山上で醍醐水・霊泉がわき出るこの山を譲り受け、准胝(じゅんてい)、如意輪の両観音像を安置したのが始まりです。開創後、醍醐・朱雀・村上の三代天皇の帰依により上醍醐に薬師堂・五大堂、下醍醐に五重塔などが次々に建立されました。長い歴史の中で何度も火災にあい、応仁の乱では下醍醐は五重塔を残して焼失、上醍醐も荒廃するなど。その後、豊臣秀吉、秀頼により「醍醐の花見」を機に再建が行われました。江戸時代に入ると皇室、貴族の支援を受け真言密教の中心として信仰を集めることとなります。醍醐寺は、木の文化・紙の文化伝承の宝庫です。数々の文化財が霊宝館に並べられ公開されています。
宗派・本尊など
宗派: 真言宗醍醐派 総本山
本尊: 薬師如来坐像
ユネスコ世界遺産登録(1994) 京都17寺社
醍醐寺の見所
醍醐寺は山の下の下醍醐と山の上の上醍醐からなります。
≪下醍醐≫
霊宝館の巨大桜
樹齢180年の枝垂れ桜です。横に伸びる枝の長さが(25m)素晴らしく、この桜を次の世代にという思いが伝わります。夕日に輝く桜の花がその豪華さや思いをさらに増していくのです。
三宝院(さんぽういん)表書院(国宝)
醍醐寺三宝院は、庭園全体を見渡せる表書院が寝殿造りで桃山時代を代表する建物です。下段・中段・上段の間からなり、下段の間は畳を上げると能舞台になったり、中段・上段は一段高く造られ下段で行われる能楽・狂言を見下ろせるように造られています。「醍醐の花見」の頃、太閤秀吉の豪華・絢爛の時代を感じます。
三宝院庭園(特別名勝・特別史跡)
三宝院の庭園は1539年豊臣秀吉が「醍醐の花見」を目的に自ら設計されたといわれています。
三宝院唐門(国宝)
桃山時代のもので朝廷からの使者を迎える時だけ扉が開かれたとされる門です。2010年に修復が行われ、門全体が黒の漆塗で桐と菊の紋が金箔で施されています。当時の様子がうかがえます。
三宝院前の桜
空から降ってくるような素晴らしい枝垂れ桜が見事です。
憲深林苑
春の彼岸にここ憲深林苑で咲き始める河津桜をかわきりに醍醐の花見がはじまります。桜の花に囲まれてお茶がいただけます。
青瀧宮本殿
醍醐寺の鎮守社で、上醍醐より分身を移し祀られています。
五重塔(国宝)
醍醐天皇のご冥福を祈るために朱雀天皇が起工し、そして村上天皇の時代951年に完成しました。
金堂(国宝)
醍醐天皇の御願により926年創建されました。その後焼失し、秀吉の命により再建がはじまり秀頼の時代に完成します。
弁天堂
桜の醍醐寺ですが、ここは秋の紅葉も人気を集めています。
≪上醍醐≫
下醍醐から30分程山を登っていくと上醍醐に着きます。
醍醐水
理源大師が発見した霊泉で、今でもこの霊泉は飲むことができます。ここからが醍醐寺の始まりです。
五大堂
昭和焼失以降の新建築です。山上密教寺院の雰囲気を今に伝えています。
薬師堂(国宝)
上醍醐の伽藍の中央にあります。
開山堂
理源大師を奉安した御堂です。今ある建物は豊臣秀頼により再建されたものです。
青瀧宮拝殿(国宝)
室町時代の建物で、上醍醐の青瀧宮拝殿です。一部崖にさしかかるが懸造り(かけつくり)の構造です。こちらの分身が下醍醐の青瀧宮本殿に祀られています。
その他
醍醐棚
三宝院の奥宸殿のこの『醍醐棚』といわれる違い棚があります。『天下の三大名棚』の一つで他は修学院離宮の『霞棚』、桂離宮の『桂棚』があります。
塔頭寺院
報恩院
もとは上醍醐にあった極楽坊ご報恩院とされ、後宇多天皇により下醍醐に移され今の場所へは明治以降だそうです。毎日午後1寺から堂内で護摩が焚かれ祈願されています。
などがあります。
案内
〒:601-1325
所在地:京都市伏見区醍醐東大路町22
℡:075-571-0002