四天王寺

四天王寺の歴史

四天王寺(してんのうじ)は、法隆寺中宮寺、広隆寺、橘寺、葛城寺と共に聖徳太子建立七大寺とされています。『日本書紀』によりますと587年(用明天皇2年)、仏教推進派の蘇我氏と廃仏派の物部氏の対立により武力衝突が起こり、物部氏の本拠地である現・東大阪市・布施に攻め込み3度目の交戦で勝利し、聖徳太子が593年(推古天皇5年)四天王を祀る寺院を建立したのが始まりです。(建立は、現存する日本最古の企業・金剛組によって行われました。) 聖徳太子は、四天王寺を建てられるにあたって「四箇院(しかいん)の制」をとられました。それは、仏法修行の道場『敬田院』(きょうでんいん)、病気の者に薬を与える『施薬院』(せやくいん)、病気の者を収容する『療病院』、身寄りのない人やお年寄りを収容する『悲田院』(ひでんいん)という四つの施設を作り根本精神の実践の場として四天王寺を建立したのです。現在では、毎月21日(お大師さん=弘法大師の命日・入定された日)と22日(お太子さん=聖徳太子の命日とされる日・大法要が行われた日)には縁日が催され賑わっています。また、四天王寺の近隣の天王寺という駅や天王寺区などの地名は四天王寺の略称です。

宗派・本尊など

別名:  金光明四天王大護国寺
宗派:  和宗 総本山
本尊:  救世観音菩薩(ぐぜ=くせかんのんぼさつ)

四天王寺の見所

石舞台(重文)と六時堂(重文)

正式には、六時礼讃堂で昼夜六回にわたって礼讃を行う事から六時礼讃堂と呼ばれています。石舞台は、毎年4月22日に聖徳太子を偲んで行われる大法要の時に舞楽で使われる舞台で、日本三舞台(厳島神社の高舞台住吉大社の石舞台・四天王寺の石舞台)の一つです。正面・下に書いてある「舞台講」とはこの舞台再建に寄進の労をとった大阪の材木問屋の集まり(講)の名称です。

石舞台と六時堂
                                   手前・石舞台と奥・六時堂






元三大師堂(がんさんだいしどう)<重文>

1618年の建立で、比叡山中興の祖・良源(元三大師)を祀っていることからこの名がついたといいます。

四天王寺・元三大師堂
                                    






本坊西通用門(重文)

五智光院(ごちこういん)<重文>や四天王寺本坊、庭園などにつながる門です。

四天王寺本坊西通用門
                                    






ページトップへ


本坊湯屋方丈(ほんぼうゆやほうじょう)<重文>

1623年、徳川秀忠による再建です。方丈は、住職の居室で天海大僧正(てんかいだいそうじょう)が四天王寺執務の時、在住された方丈がここです。因みに湯屋(ゆや)とはお風呂の事です。

四天王寺・本坊湯屋方丈
                                    






本坊庭園「極楽浄土の庭」・「補陀洛(ふだらく)の庭」

四天王寺本坊庭園は、「極楽浄土の庭」と呼ばれる池泉回遊式の庭園です。極楽浄土は、西方の阿弥陀如来がおられる一切の苦しみのない荘厳な美と歓喜の世界でその世界観を描いた「極楽浄土の庭」に、湯屋方丈から望む「補陀洛の庭」です。(補陀洛とは南方にある観音様がおられる観音浄土<補陀洛浄土>です)

極楽浄土の庭・補陀落(ふだらく)の庭
                     「極楽浄土の庭」・「補陀落(ふだらく)の庭」






瑠璃光の池
                                        「瑠璃光の池」






八角亭
                                   八角亭(はっかくてい)






ページトップへ


四天王寺伽藍

四天王寺の伽藍の配置は中門、塔、金堂、講堂を南から北へ一直線に配置する「四天王寺式伽藍配置」で、法隆寺の西院伽藍も元々は「四天王寺式伽藍配置」だったという事がわかっています。

四天王寺・伽藍
                                    






案内

〒:  543-0051
住所: 大阪府大阪市天王寺区四天王寺1-11-18
℡:  06-6771-0066

地域別日本遺産









四天王寺
                                    






ページトップへ


大阪遺産(目次)


日本の遺産-日本で出会う遺産トップページへ