宮島・厳島神社の歴史
通称、宮島(みやじま)と呼ばれる厳島は、島全域が瀬戸内海国立公園に含まれ松島や天橋立と並び日本三景の一つで、その宮島の中の景勝地の中心が特別史跡及び特別名勝の世界遺産・厳島神社(いつくしまじんじゃ)です。また、宮島の弥山(みせん)の原始林は古くから信仰の対象の山で、現在は、国の特別天然記念物にもなっており、世界遺産の区域にも属しています。厳島神社は宮島全体を御神体とした神社で、社殿の創建は、593年佐伯鞍職(さえきのくらもと)大和時代の安芸の豪族で、初代神主を務めた人物とされています。その後1168年、平安時代末期・平清盛により造営されました。二度の火災に見舞われますが、平家一族と共に栄え厳島神社は平家の守り神とされていました。平家没後も厳島神社は時の権力者と共に繁栄していきます。
国宝・重要文化財の建造物は20基・美術工芸54点等261点にものぼる特別名勝・特別史跡の真の日本の遺産です。
宗派・主祭神・遺産登録など
宗派: 日本神道
主祭神: 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
田心姫命(たごりひめのみこと)
湍津姫命(たきつひめのみこと)
ユネスコ世界遺産登録(1996) 厳島神社 (世界文化遺産)
宮島・厳島神社の見所
厳島神社・本社(国宝)
本社の本殿(ほんでん)・幣殿(へいでん)・拝殿(はいでん)・祓殿 (はらいでん)はそれぞれ国宝に指定されています。本殿には、市杵島姫命・田心姫命・湍津姫命が祀られています。日本一大きい本殿といわれ、現在の本殿は、1571年毛利元就により改築されました。幣殿は神様に御供えをする建物です。祓殿(はらいでん)は、お祓いをするところです。
本社・左・右内待橋(ないしばし)(国宝)
内待とは、厳島神社に仕える巫女のことをいい、内待が本社につながるこの橋を渡って御供えをしたことからこのように呼ばれています。左右二つの内待橋がありどちらも国宝です。
客神社(まろうどじんじゃ)(国宝)
本殿・幣殿・拝殿・祓殿からなり、全て国宝指定です。本殿には、天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)・活津彦根命(いきつひこねのみこと)・天穂日命(あめのほひのみこと)・天津彦根命(あまつひこねのみこと)・熊野櫞樟日命(くまのくすびのみこと)の5男神が祀られています。祭事のときには、一番先に神職がお参りします。
東・西廻廊(かいろう)(国宝)
東側廻廊は47間、西側廻廊は61間(1間とは柱と柱の間で、1間は約2.4m)合計108間の長さがあります。 床板には、目透しという隙間があり、高潮の時に下から押しあがってくる海水の圧力を弱め、海水や雨水を海へ流すことで建物を守る工夫がされています。西側廻廊には昔入口があったようで1間・1間に釣燈籠が下げられています。これは毛利氏に寄進されたのが始まりといわれています。
右楽房(うがくぼう)・左楽房(さがくぼう)(国宝)
舞楽を舞う際に、楽器を演奏する場所です。インド・唐から伝わったものを左の舞といい、左(さまい)を舞うときは左楽房で奏し、 満州・朝鮮半島から伝わったものを右の舞といい、右舞(うまい)を舞うときには右楽房で奏します。
右門客神社(みぎかどまろうどじんじゃ)・左門客神社(ひだりかどまろうどじんじゃ)(国宝)
ご祭神は、右門客神社は豊石窓神(とよいわまどのかみ)・左門客神社は櫛石窓神(くしいわまどのかみ)です。
高舞台(国宝)
平清盛が大阪・四天王寺から移したという舞楽がここで舞われます。厳島神社の高舞台は、大阪・四天王寺の石舞台、大阪・住吉大社の石舞台と共に「日本三舞台」といわれています。
平舞台(国宝)
社殿の前に約553㎡の舞台が広がります。寝殿造りの庭にあたる部分です。平舞台の上に高舞台は乗っている形です。
大鳥居(重文)
満潮時には海面に浮かんでいるように見える大鳥居。宮島のシンボルです。鳥居の高さは奈良の大仏と同じくらいで約16mです。この鳥居が倒れたり流されたりしないのは、鳥居の上部に7トンものこぶし大の石が詰められ、それが重しになっているからです。数百年前にすでにこのような仕掛けが考えられていました。
大願寺・五重塔(重文)
1407年に創建されました。和様と唐様がうまく混ざり合った、高さ27.6mの塔です。
案内
〒:739-0505
所在地:広島県廿日市市宮島町1162-18
℡:0829-44-2011 社団法人 宮島観光協会