住吉大社の歴史
住吉大社(すみよしたいしゃ)は、仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)9年(200年)、神功皇后(じんぐうこうごう=仲哀天皇の后で応神天皇の母)が三韓征伐(さんかんせいばつ=新羅・百済・高句麗を支配下した)に住吉大神の加護により勝利し帰還した時、摂津国住吉郡の豪族の田裳見宿禰(たもみのすくね)が、住吉三神を祀ったのに始まります。元寇の際も社前の住吉の浜(住之江の浜)において海神の住吉大神に蒙古撃退の「浜祈祷」が行われました。また、南朝の後村上天皇の行宮(あんぐう)が置かれた為、足利幕府から制圧を受け社領も大幅に削減され現在の大きさになります。しかし、現在でも初詣参拝者の多い神社で「すみよしさん」などといわれ、とても親しまれている神社なのです。
宗派・主祭神など
別名: 住吉大神宮(すみよしのおおがみのみや)・すみよしさん・すみよっさん
宗派: 日本神道
主祭神: 底筒男命(そこつつのをのみこと)
中筒男命(なかつつのをのみこと)
表筒男命(うはつつのをのみこと)
息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)=神功皇后(じんぐうこうごう)
住吉大社の見所
反橋(そりばし)
昔はこの反橋の付近まで波が来ていたそうです。反橋は、豊臣秀吉の妻・淀殿の寄進です。また通称・太鼓橋と呼ばれています。
住吉大社御本殿第一本宮(国宝)
第一本宮~第三本宮まで縦に並び第四本宮が横に並ぶという配置は他になく、住吉大社だけの建築配置です。
住吉大社御本殿第二本宮(国宝)
住吉大社に代表される住吉造は、伊勢神宮に代表される神明造(しんめいづくり)や出雲大社に代表される大社造と共に、もっとも古い神社建築様式とされます。
住吉大社御本殿第三本宮(国宝)・第四本宮(国宝)
石舞台(重文)
毎年五月に舞楽を奉納する場所です。日本三舞台(厳島神社の高舞台・四天王寺の石舞台・住吉大社の石舞台)の一つです。
南門<重文>・西楽所(にしがくしょ)<重文>・東楽所(ひがしがくしょ)<重文>
石舞台のすぐ正面に南門、左右に西楽所、東楽所があります。ただの塀ではなく中は部屋になっているそうです。舞楽の時にはこの戸が開いて石舞台に向かって楽人が演奏されるのでしょう。石舞台とともに豊臣秀頼による寄進です。
五所御前(ごしょごぜん)
その昔、神功皇后が住吉大神をお祭りする為の土地を探していた頃、この杉の木に白サギが3羽きて止まったので、ここにお祭りしたとされる聖地で別名「高天原(たかまがはら)」とも言います。石の玉垣の中にある砂利には「五・大・力」(ご・だい・りき)と書かれている小石が何も書かれていない普通の石に混ざってまかれています。これを集めてお守りにすると心願成就するといわれています。五大力とは、つまり体力・智力・福力・財力・寿力の徳をさしています。願い事が叶ったら、何も書いていない石に「五」「大」「力」とそれぞれ書いて、住吉大社で頂いた3つの石と一緒に、計6つを五所御前にお返しします。
石燈籠
住吉大社の石燈籠は巨大なものが多く、その理由には昔は、海上守護(昔は、このあたり浜辺のすぐそばでした)の祈願を込めて寄進したもので広告塔としての意味合いが強かったのです。全国の各業者から奉納された境内の燈籠は全部で約600基あります。
案内
〒: 558-0045
住所: 大阪府大阪市住吉区住吉2-9-89
℡: 06-6672-0753