熊野那智大社の歴史
熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)の創始は、(およそ2700年前)初代・神武天皇(じんむてんのう)が熊野灘から那智の海岸に上陸した時に、那智の山に光り輝くものをみて那智の大滝を見つけられ、その大滝を神としてお祀りしたところから始まると言われています。そこに、大己貴命(おほなむちのみこと)=大国主(おおくにぬし)を祀り、熊野牟須美神(くまのふすみのおおかみ)=伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)をお祀りしたのです。仁徳天皇(にんとくてんのう)五年(三一七年)に社殿を現在の高台の場所に移し、元の場所を別宮・飛瀧神社(ひろうじんじゃ)とし、新しい社殿には熊野牟須美神を主祭神として、12柱の神々をお祭りしました。その後、平安期以降皇室からの信仰も非常に篤くなり、一般の人々にも「蟻の熊野詣」(ありのくまのもうで)と言われるほど全国から多くの人々が参詣に訪れるようになりました。
宗派・主祭神など
宗派; 日本神道
主祭神:熊野牟須美神(くまのふすみのおおかみ)伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)の事
他祭神:大己貴命(おほなむちのみこと)-大国主(おおくにぬし)の若い頃の名前
御子速玉之男神(みこはやたまのおおかみ)
家都美御子大神(けつみみこのおおかみ)素盞鳴尊(すさのおのみこと)の事
国常立尊(くにとこたちのみこと)
天照大神(あまてらすおおみかみ) 他
ユネスコ世界遺産(2004) 紀伊山地の霊場と参詣道
熊野那智大社の見所
熊野那智大社社殿(重文)
熊野那智大社社殿六棟は、江戸時代後期の再建ですが、規模が大きく質の高い建築で中世以降の神社建築を今に伝えるものとして非常に価値が高く国の重要文化財に指定されています。
熊野那智大社のすぐ隣にある青岸渡寺(せいがんとじ)から見た社殿(手前から第一段)
熊野那智大社・境内(史跡)
熊野那智大社の境内と隣の青岸渡寺(せいがんとじ)の境内は熊野三山(くまのさんざん)<熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)、熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)、熊野那智大社>として国の史跡に指定されています。
大楠(おおくすのき)
平重盛(たいらのしげもり)の手植えとされています。(830年程前) 楠(くすのき)の幹の根元から中に入る事できるほど大きいものです。
飛瀧神社(ひろうじんじゃ)
飛瀧神社は、熊野那智大社の別宮で、熊野那智大社の創始はここから始まります。そして、この場所ではそのままご神体の大滝を拝します。また、『那智の火祭り』は、毎年7月14日ここで行われます。
鎌倉積み石段
中辺路(なかへち)の大門坂方面から熊野那智大社に参詣する最後の登り道(裏参道)です。
案内
〒:649-5301
所在地:和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山1
℡:0735-55-0321