元興寺の歴史
元興寺(がんごうじ)は非常に古い寺院で飛鳥時代、大陸から仏教を取り入れるか否かで進歩派、蘇我氏と廃仏派、物部氏が争って蘇我氏が物部氏の頭領である物部守屋(もののべもりや)破ったことで大きく仏教容認に傾きました。それによって正式な仏教寺院が初めて飛鳥の地に建てられました。当時の名前は法興寺またはその土地に因んで、飛鳥寺と呼ばれましたが、都が平城京に移ると法興寺も移され名前も法興寺から元興寺と変更されました。平安時代の前半期までは元興寺は、南都七大寺(東大寺、興福寺、薬師寺、西大寺、大安寺、法隆寺、元興寺)の中でも指導的な役割を示してきました。仏教行事の盂蘭盆会(うらぼんえ)、灌仏会、文殊会、仏名会などは元興寺の発祥です。当時に人たちは南都七大寺をお参りするのが楽しみだったようです。しかし、平安後期には、当時の新興勢である真言宗、天台宗の隆盛で衰退一途をたどっていきます。しかし、それまでとは違って民衆の力に支えられて現在まで続いてきたのです。最近では文化財保護の成果などを評価され世界遺産にも登録されました。
宗派・本尊など
別名: 元興寺極楽坊
宗派: 真言律宗
本尊: 智光曼荼羅
ユネスコ世界遺産登録(1998) 古都奈良の文化財
元興寺の見所
極楽堂「曼荼羅堂」(国宝)と境内(史跡)
智光法師の浄土曼荼羅が祀られたので曼荼羅堂とも呼ばれました。南都における浄土教の発祥の聖地として古来有名な堂宇です。
五重小塔(国宝)
光明皇后の発顔で建立されました。現存する奈良時代盛期の五重塔としては唯一のものです。
禅室「僧坊」(国宝)
極楽堂の後ろ側にあり、空海や智光法師が起居、学修したといわれる官大寺僧坊の遺構で鎌倉時代の建築様式ですが奈良時代以前の古材を多く再利用されています。
その他
行基葺き
正式な日本最初と言われる法興寺を作るために百済から瓦博士を派遣して、その時作った瓦を平城京移転の為、元興寺に持ってきた瓦が残っていますが、その中で特に重なり合った丸瓦の葺き方は行基葺きと言われています。極楽堂の西側と禅室の南側が特に他と違った趣をかもし出しています。
案内
〒:630-8392
所在地:奈良県奈良市中院町11
℡:0742-23-1376~7