松本城の歴史
松本城の築城は1504~21年と伝えられていますが、小笠原貞慶が整備拡充し、城下町の形を変えたのは、1582年の事です。現存する天守を築造したのは石川康長で、1593~94年といわれています。そして、江戸時代が終わると城は不要なものになり、城郭は売り払われたり取り壊されたりされる運命となりました。松本城でも明治4年末頃から門や櫓などが壊され始めます。天守は当時のお金で、235両永125文で個人に売却されました。これを知った松本町の副戸長であった市川量造は、天守が壊されてしまうことを憂い、これを買いもどそうと尽力します。地元ばかりでなく東京や大阪にも足を運び、人々に広く募金を呼びかけました。さらに天守をつかって、当時はやりであった博覧会を開き人々に骨董品の展示を見てもらって、その観覧料を資金にあて買い戻しに成功しました。このような市川の努力によって、天守は売却・破壊の危機を乗り切ることができ、現存する五重天守の中では日本最古の国宝の城を見ることができるのです。そして、五重六階の松本城の天守は、姫路城、彦根城、犬山城とともに四つの国宝城郭の一つとして知られています。
松本城の別名
別名: 烏城(からすじょう)
松本城の見所
天守(国宝)
松本城は天守、乾小天守、渡櫓、辰巳附櫓、月見櫓の5棟が昭和27年(1952年)に国宝指定になっている他、敷地全体が昭和5年(1930年)に国指定史跡に指定されています。
黒門
1990年(平成2年)に、黒門二の門および袖塀が復元されました。
案内
〒: 390-0873
住所: 長野県松本市丸の内4-1
℡: 0263-32-2902 松本城管理事務所