大峯山寺の歴史
大峯山寺(おおみねさんじ)は1300年余年前、役小角(えんのおづの・おづぬ)は金峯山(奈良県の大峰山脈のうち吉野山から山上ヶ岳までの連峰の総称)で修行していましたが、感得した蔵王権現(ざおうごんげん)を刻んで本尊として現、大峯山寺の本堂と吉野・金峯山寺(きんぷせんじ)の蔵王堂に祀りました。吉野山にある金峯山寺の蔵王堂を「山下(さんげ)の蔵王堂」といい、大峯山の大峯山寺本堂を「山上の蔵王堂」と呼ばれています。それは、元々金峯山寺という同じ修験道の寺院だったからです。吉野から20km離れている大峯山寺は、昔から参拝が困難だったので吉野の金峯山寺にも蔵王堂を建てたと言われています。大峯山寺に上る参道は洞川(どろかわ)の旅館街から4時間、又駐車場のある大峯登山口からでも3時間ほどかかります。そして、この山は昔より女人禁制の山で世界遺産に認定された現在でもその風習、文化を守り続けているのです。
宗派・本尊など
宗派: 修験道
本尊: 金剛蔵王権現
ユネスコ世界遺産登録(2004) 紀伊山地の霊場と参詣道
大峯山寺の見所
本堂(重文)・梵鐘(重文)・境内(史跡)
山上ヶ岳(通常大峯山と呼んでいます)の頂上にあり、山上蔵王堂とも呼ばれます。毎年5月2日に戸開式、9月22日に戸閉式が行われその期間だけお参りすることができます。山中を上って来られる参詣者や修行者は、『ようお参り!』と言ってすれ違い、3時間かけて頂上を目指します。
その他
西の覗(にしののぞき)
大峯山寺に上る参道の途中に、修験者が修行をする行場の一つである西の覗という場所があります。そそり立つ断崖絶壁から逆さまに命綱一つで身を乗り出し仏の世界を覗く修行です。疑いや、煩悩があると出来ない修行と言われています。
陀羅尼助(だらにすけ)
和薬の元祖でオウバクを主成分とする胃腸薬です。板状は、下痢止めで、粒状は、胃腸薬として用いられます。1300年前、疫病が流行した時に役小角がこの薬を作り多くの人を救ったと言われます。吉野・大峯詣りの人々の土産物になっています。
案内
〒:638-0431
所在地:奈良県吉野郡天川村大字洞川字大峯山山上ヶ岳頂上
℡:なし