中尊寺

中尊寺の歴史

平泉の中尊寺(ちゅうそんじ)は、850年比叡山の高僧・慈覚大師、円仁(えんにん)によって開山されたといわれています。 1105年奥州藤原氏、初代・藤原清衡(ふじわらのきよひら)が釈迦如来と多宝如来を安置する「多宝寺」を建立したのが、中尊寺の始まりです。 1189年源頼朝の率いる軍勢が奥州を攻め、藤原氏は滅亡。その後、頼朝は平泉の寺を巡り仏教文化に感銘を受けます。 奥州藤原氏(おうしゅうふじわらし)の後ろ盾を失い、中尊寺は荒廃が進んでいきます。戦国時代に、秀吉によって多くの中尊寺の秘宝が京都伏見に運ばれていきました。これらは現在、「中尊寺経」として高野山観心寺(大阪・河内長野)に所蔵されています。 江戸時代には、中尊寺は伊達藩領(だてはんりょう)となり厚く保護されていきます。こうして荒廃されていた中尊寺が復興されてきました。 明治以降は、金色堂の修復や、第二次世界大戦後の文化財保護法により金色堂が国宝建造物の第一号に選ばるなど、3000点以上の宝物が国宝重要文化財の指定を受けています。 また、2011年ユネスコ世界文化遺産(世界遺産)に登録されました。

宗派・本尊など

別名:   関山弘台寿院中尊寺
宗派:   天台宗 東北大本山
本尊:   阿弥陀如来
ユネスコ世界遺産登録(2011)平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群

中尊寺の見所

中尊寺境内(特別史跡)・中尊寺金色堂(ちゅうそんじこんじきどう)<国宝>

中尊寺金色堂は、1124年、奥州藤原氏初代藤原清衡が建立したものです。 平等院鳳凰堂と共に平安時代の浄土建築の代表です。 金色堂は建立当初は屋外に建っていましたが、建立の数十年後には建物を風雨から守るための「霧よけ」のような施設が造られ、金色堂を外側からすっぽり包む形で覆堂(さやどう)が建設されました。現在の金色堂覆堂は1965年に建設された鉄筋コンクリート造のもので、金色堂はこの覆堂内のガラスケースに収められ、温度・湿度が調整された状況で保存管理されています。 内部の須弥壇上(しゅみだんじょう)には阿弥陀三尊像など計11駆の仏像が安置され、その須弥壇の中には藤原四代のミイラが安置されていました。 1950年、これらの学術調査が行われ、四代・泰衡(やすひら)の首桶から蓮の種が見つかり平成10年開花に成功しました。それは、「中尊寺ハス}といわれ初夏には800年前と同じ素晴らしい花を咲かせてくれます。

中尊寺覆堂
                                          中尊寺覆堂






中尊寺ハス
                                            中尊寺ハス






弁慶堂

弁慶堂は中尊寺の参道沿いにある建物で、入母屋の金属板葺きの屋根でかなり細かい彫刻が施されています。文政9年(1826年)の再建です。

弁慶堂
                                        






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案内

〒:    029-4102
住所:   岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関202
℡:     0191-46-2211



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