高野山・金剛峯寺

高野山・金剛峯寺の歴史

金剛峯寺(こんごうぶじ)の山号が高野山ということから金剛峯寺は通常=高野山と同義ということで解釈されています。高野山は弘法大師(空海)が平安時代に開いた山の上の宗教都市で、平安時代初期遣唐使から帰国した空海が、時の嵯峨天皇に気に入られ高野山に真言密教の道場を願い出ることで実現しました。さっそく堂宇の建立にとりかかりましたが、空海の生存中に完成したものはごくわずかで弟子の真然が伽藍を整備しました。平安時代中期~後期には権力者の参詣や北条政子が源頼朝の為に建てた金剛三昧院の様に有力者による寺院建立もあり、最盛期には高野山に2000の堂宇があったといいます。その後、織田信長と対立するようになり高野山攻めを行った信長は、本能寺の変で倒れ高野山は難を逃れました。信長の後の豊臣秀吉の時にも高野山は、圧力をかけられていましたが、高野山の客僧である木食応其(もくじきおうご)<根来攻めの時には客僧でありながら秀吉との和議に臨んだ結果高野山の復興援助を得、秀吉は高野山に金堂や大塔を建立し、秀吉の母の菩提所青巌寺(金剛峯寺の前身)を建てました。>に帰依するようになり援助までするようになりました。その後、徳川家が高野山を菩提所と定めたこともあり、諸大名を始め多くの権力者が高野山に霊屋や墓碑、供養塔などを建立するようになり全長2kmにわたる奥の院に通じる参道には無数の墓碑、石塔が立ち並び著名人の墓碑や供養塔も多くみられるのが高野山の風景になりました。



宗派・本尊など

別名:   高野山真言宗 総本山金剛峯寺
宗派;   新高野山真言宗 総本山
本尊:   阿しゅく如来
ユネスコ世界遺産(2004) 紀伊山地の霊場と参詣道

高野山・金剛峯寺の見所

金剛峯寺主殿

1869年豊臣秀吉が母の為に建てた青巖寺と興山寺が合併して金剛峯寺となり、現在の高野山の金剛峯寺総本山です。

金剛峯寺
                                           






金剛峯寺
                                           






不動堂(国宝)

1197年頃の建立でもともとは別の場所にあったのですが、明治になって移築されました。

金剛峯寺・不動堂
                                           






金剛三昧院多宝塔(国宝)

現在は、金剛三昧院は金剛峯寺の子院になっており、多宝塔は石山寺の多宝塔の次に古く国宝及び世界遺産の登録物件にも指定されています。




ページトップへ


徳川家霊台(重文)

左奥が徳川秀忠で右が徳川家康の霊台です。

1徳川家霊台
                                           






大門(重文)

高野山の入口にあり、1705年の再建です。高さは25.1mあります。

金剛峯寺・大門
                                           






伽藍・境内(史跡)

高野山の山内は平地になっていて寺院ばかりの宗教都市になっています。金剛峯寺の境内は国の史跡に指定されています。

金剛峯寺・金堂
                                           金堂






金剛峯寺・根本大塔
                                         根本大塔






ページトップへ


金剛峯寺・御影堂
                                          御影堂






金剛峯寺
                                           






金剛峯寺
                                           






奥の院へと続く道

 

金剛峯寺
           奥の院から離れた場所でも新しい墓碑がどんどん増えています






ページトップへ


金剛峯寺
                        奥の院に近づいていきます






金剛峯寺
                  森の中に入っていきます






金剛峯寺
                       古い墓碑や供養塔ばかりになります






金剛峯寺
                    この先が奥の院ですが、撮影はここまでです






ページトップへ


奥の院

上の写真の先に奥の院があり、さらにその一番奥に空海が入定された建物があります。今もその中で空海はすべての人の為に祈りをささげていると信じられています。奥の院に通じる道に墓碑、石塔が多いのは空海が永眠する土地に墓碑を建てたいという思いからで上杉謙信・景勝、平敦盛、織田信長、豊臣秀吉、明智光秀、石田三成、柴田勝家、伊達正宗、武田信玄・勝頼、前田利長、筒井順慶、薩摩島津家、浅野内匠頭・赤穂四十七士、大岡越前、井伊直弼、法然、親鸞、初代市川團十郎、鶴田浩二など誰もだ知る著名人墓碑、石塔が競うように立ち並びます



その他

宿坊

高野山には宿坊が多く総本山金剛峯寺を除いて全117ヶ寺のうち宿坊として宿泊できるお寺が52あります。それぞれのお寺によって庭園や精進料理もそれぞれ違って楽しみがあると思います。又、お酒も般若湯として頂くことができます。


女人禁制

昔、高野山には、七つの登り口がありましたが、高野山は女人禁制の為、明治5年に解かれるまで女性の立ち入りが厳しく制限されていました。高野七口と呼ばれる各登り口には女人堂と呼ばれる女性のための参籠所が設けられていたそうです。現存するものは一つのみです。

案内

〒:648-0211
所在地:和歌山県伊都郡高野町高野山132
℡:0736-56-2011

地域別日本遺産









金剛峯寺
                                           






ページトップへ


和歌山遺産(目次)


日本の世界遺産(目次)


日本の遺産-日本で出会う遺産トップページへ