観心寺の歴史
観心寺(かんしんじ)は、701年、役小角(えんのおずぬ)によって開かれた雲心寺が始まりです。その後、弘法大師空海がここを訪れた際に、北斗七星を勧請され、自ら如意輪観音菩薩を刻み、ここに安置され観心寺とされました。空海の一番弟子である実恵(じちえ)が弟子の真紹(しんじょう)と共に造営し、現在に至ります。
宗派・本尊など
宗派: 高野山真言宗
本尊: 如意輪観音
観心寺の見所
観心寺金堂(国宝)
1334年頃、後醍醐天皇が楠木正成を奉行とし金堂の造営を命じ、現在の金堂ができました。大阪府下最古の国宝建築物といわれています。これまで豊臣秀頼の時、江戸時代中期、明治の初め、昭和の初めに修理が行われ、昭和59年に昭和大修理が行われ現在の状態となりました。
建掛塔(たてかけとう)<重文>
建掛塔はその名の通り、三重塔を建てかけてる途中で発願者の楠正成が討ち死にしてしまったので途中で終わってしまいました。後代に屋根の小屋組みと茅葺の屋根が架けられたそうです。
訶梨帝母天堂(かりていもてんどう)<重文>
観心寺の鎮守社です。創建年代未詳で、興国5年(1344年)に焼失し、後村上天皇の命により楠木正行(くすのきまさつら)が再建したと伝えられています。訶梨帝母天は鬼子母神のことで、子供をさらって食べていました。それで仏陀(ぶっだ)は鬼子母神の子供を隠して子供を失う親の苦しみを悟らせました。その後、訶梨帝母天は改心し仏教を守護するようになったといいます。
大楠公 楠木正成公首塚
観心寺は、楠木氏の菩提寺でもあります。1336年、神戸の湊川で討死後、楠木正成の首級(しゅきゅう)が観心寺に送られ、首塚として祀られています。
観心寺境内
観心寺の境内は、春は梅、桜・夏はさるすべりなど目を楽しませてくれます。
その他
如意輪観音菩薩(国宝)
彩色の六臂(ろっぴ・手が六本)像で、像高109.4cmです。金堂に安置され、脇侍(きょうじ)は不動明王と愛染明王で秘宝とされ、毎年4月17.18日のみの拝観となります。
観心寺縁起資材帳(国宝)
883年に作成された文章で、このころの文章が現代に残っていることが大変珍しく国宝に指定されています。
観心寺の歴史や財産について書かれているそうです。
清めの塩
「北斗の塩」という観心寺の清めのお塩は、観心寺で一つずつ御祈祷したもので神仏用や盛り塩、清めのお塩だけでなく食用としてももちろん使え結構美味しいのです。
案内
〒: 586-0053
住所: 大阪府河内長野市寺元475
℡: 0721-62-2133