町石道の歴史
町石道(ちょういしみち)は、高野山の山麓の慈尊院(じそんいん)から高野山までの表参道です。 空海が山上の高野山大伽藍を開く時に、山麓の慈尊院を表玄関として、又、宿所・寺務所として建立しました。そして、高野山につながる道として町石道を開きました。 その距離は、高野山の根本大塔までの22kmで、一町ずつ180基の卒塔婆風の石塔(町石)が建っています。一町は約109mで、昔は一町ごとにその卒塔婆(昔は木の卒塔婆でした)に向かってお祈りしながら、高野山に参詣したという祈りの道です。 また、町石道の町石は、根本大塔から奥の院までの4kmまで36基あり合計216基建っていることになります。
遺産登録など
ユネスコ世界遺産(2004) 紀伊山地の霊場と参詣道
町石道の見所
高野山町石(史跡)
町石は慈尊院の境内からはじまります。
慈尊院・町石(180町石)
丹生官省符神社・町石
高野山・大門の向こうに町石があります
案内
所在地:和歌山県伊都郡かつらぎ町 慈尊院~高野町 高野山(高野山の表参道)