慈尊院の歴史
慈尊院(じそんいん)は、816年空海(弘法大師)によって開かれました。もともとは今の場所の近くの紀ノ川沿いにあったそうですが、洪水で流され1540年今の場所に移されました。空海の母が、高齢をおして讃岐の国(現:香川県)から息子(空海)に会いに来たのですが、空海は、高野山は女人禁制と決めていたので、この慈尊院まで自身が会いに来られていたそうです。空海の母は、83才で亡くなるまでこの慈尊院におられ本尊弥勒仏(国宝)を深く信仰していたそうです。そして、亡くなって弥勒仏の化身になったと言われ、女人禁制の高野山にたいしてその麓にある慈尊院は、女人高野と呼ばれるようになりました。また、この地が九度山と呼ばれるのは空海が毎月、母に会いに9度、山から下りてきていたからと言われています。
宗派・本尊など
宗派; 高野山真言宗
本尊: 木造弥勒仏坐像
ユネスコ世界遺産(2004) 紀伊山地の霊場と参詣道
慈尊院の見所
弥勒堂(重文)
秘仏・本尊木造弥勒仏坐像がおさめられています。21年ごとの開帳です。又、空海の母は、弥勒堂に住まわれていました。
多宝塔
多宝塔は空海が建立されたとされますが、現在のものは江戸初期の再建のものです。
拝堂
北側にある弥勒堂と対面して建っています。もともとは、拝堂から弥勒堂の弥勒仏を拝するという形式です。
慈尊院境内(史跡)
町石道と町石がある境内は、史跡として指定されています。
その他
町石道
慈尊院から高野山まで一町(約109m)ごとに石塔(町石)が建っています。ここでお祈りをしながら高野山まで20数km登っていく祈りの道です。昔は、石塔ではなくて卒塔婆だったそうです。
案内
〒:648-0151
所在地:和歌山県伊都郡九度山町慈尊院832
℡:0736-54-2214