輪王寺の歴史
現在、日光山内の社寺は、日光東照宮、日光二荒山神社(にっこうふたらさんじんじゃ)、輪王寺(りんのうじ)に分かれ、これらを総称して「二社一寺」と呼ばれています。輪王寺(りんのうじ)は、この中の一つで、奈良時代の僧・勝道上人はこの地を四神守護(青龍-せいりゅう、朱雀-すざく、白虎-びゃっこ、玄武-げんぶ)の霊地と悟り、766年山岳信仰の社寺、四本龍寺(しほんりゅうじ)として創建されました。平安時代には、真言宗宗祖、空海や天台宗の高僧、円仁らの来山が伝えられ、円仁の中興よって848年三仏堂などが創建され、天台宗の寺院として成り立っていきます。1590年豊臣秀吉の時代に一時衰退していきますが、天台宗の高僧、天海が住職となってから再興が進み、1617年に徳川家康を祀る日光東照宮が創建、1653年に徳川家光の霊廊である大猷院(たいゆういん)が設けられます。その後、1655年に後水尾天皇から「輪王寺」の寺号をもらい門跡院となっていきます。明治以降は、神仏分離令から神仏混合だった日光山全体が「二社一寺」となっていくのです。
宗派・本尊など
宗派: 天台宗
本尊: 阿弥陀如来、千手観音、馬頭観音
ユネスコ世界遺産登録(1999)日光の社寺
輪王寺の見所
輪王寺本堂(三仏堂・さんぶつどう)<重文>
東日本の木造建築物で最大のもので、平安時代に創建されました。現在の建物は徳川家光によって建て替えられたものです。慈覚大師・円仁(じかくだいし・えんにん)が入山したときに、比叡山(ひえいざん)の根本中堂(こんぽんちゅうどう)を模して建立されたそうです。山岳信仰にもとづき、日光の三山つまり男体山(なんたいさん)、女峰山(にょほうさん)、太郎山(たろうさん)を神体とみて、その本地仏である千手観音(せんじゅかんのん)-男体山、阿弥陀如来(あみだにょらい)-女峰山、馬頭観音(ばとうかんのん)-太郎山の三仏を祀りました。
大護摩堂(だいごまどう)・相輪とう(そうりんとう)<重文>と境内(史跡)
日光山随一の護摩堂と相輪とうは、法華経を始めたくさんの経典が納められている塔です。鋳銅製で高さは、約13メートル、1643年将軍・家光公の発願によって天海大僧正(てんかいだいそうじょう)が建造されました。また日光山は輪王寺の境内を含め国の史跡に指定されています。
黒門(重文)
輪王寺の表門で通称、黒門と言います。門にも書いてある通り輪王寺は門跡寺院ということです。門跡寺院とは、皇族などの出身者によって相承される特定の寺院のことです。
大猷院(たいゆういん)
輪王寺内の「大猷院」は、徳川三代将軍「家光公」の廟所(びょうしょ=墓所)で家光公の戒名(かいみょう)にもなっています。
大猷院・仁王門(重文)
大猷院に入って、初めにくぐるのは「仁王門」で、左右には「金剛力士像」がまつられています。
大猷院・二天門(にてんもん)<重文>
持国天、広目天の二天を安置していることから二天門と呼ばれています。。
大猷院・夜叉門(やしゃもん)<重文>
入口より三つ目の門で、正面、背面の左右柵内に「毘陀羅(びだら)」・「阿跋摩羅(あばつまら)」・「ケン陀羅(けんだら)」・「烏摩勒伽(うまろきゃ)」の「四夜叉」を納め、霊廟の鎮護に当たっています。欄間、扉の羽目板部分、壁面などに流麗な牡丹唐草彫刻が施されていることから、牡丹門とも呼ばれています。
大猷院・唐門(重文)
唐門は、1653年に建てられたもので高さ3mと大猷院内で最小の門です。屋根は唐破風で雌雄の鶴、欄間には白竜、木鼻には獅子が彫り込まれています。
大猷院霊廟拝殿・相の間(あいのま)・本殿<いずれも国宝>
大猷院の中心伽藍で、拝殿・相の間・本殿から構成されている権現造り風で、家康公の東照宮の権現造りをそのまま生かした造りとなっています。
大猷院・瑞垣(みずがき)<重文>
大猷院の御本社(拝殿・相の間・本殿)を囲んでいる垣をいいます。
大猷院・皇嘉門(こうかもん)<重文>
徳川家光公の御霊廟(奥の院)前の門です。龍宮門と呼ばれる中国の楼門建築の様式を取り入れたもので、通常は中には入れません。
大猷院・御水舎(おみずしゃ)<重文>
切妻、銅瓦葺き、唐破風付のきらびやかな御水舎です。
案内
〒: 321-1431
住所: 栃木県日光市山内2300
℡: 0288-54-0531