日光東照宮の歴史
日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)は、1617年、徳川初代将軍・徳川家康公を御祭神として祀られている神社です。1616年、徳川家康は静岡の駿府で死去し久能山に葬られます。そしてその場所は、久能山東照宮として完成しました。遺言どおり、その一年後(1617年)日光山に徳川家康を神格化した東照大権現(とうしょだいごんげん)として祀り日光東照宮に家康は移されたのです。現在のおもな社殿群は、三代将軍家光公によって1636年に造替されたものです。家康は遺言で、東照宮で勧請し、神として祀られ、八州の鎮守(日本全土の守り神)となろうと述べたといわれています。
宗派・主祭神など
正式名: 東照宮
宗派: 日本神道
主祭神: 徳川家康公
ユネスコ世界遺産登録(1999)日光の社寺
日光東照宮の見所
眠り猫<国宝>
家康が眠る奥宮に通じる坂下門にあり、左甚五郎(ひだりじんごろう)作といわれています。家康を守るために寝ているように見せかけ、実はすぐ飛びかかれるように踏ん張っているとか、裏で雀が舞っていても猫も寝るほどの平和を表現しているだとか・・・
陽明門(ようめいもん)(国宝)
1635年に建てられたもので、日光東照宮の象徴となっている楼門です。京都御所にある東の正門が陽明門といわれていたことからこの名を授かりました。当時の最高の技術がつぎ込まれ508体にのぼる彫刻が施されています。一日中見ていても飽きないことかあら「日暮門」とも称されています。
廻廊(国宝)
陽明門の左右に延びる建物です。1635年に建てられ、一枚板の透かし彫りは、日本最大の花鳥の彫刻が色鮮やかに施されています。
唐門(国宝)
唐門は規模こそ小さいですが、胡粉(こぶん・貝からつくられた顔料)で白く塗られ細かい彫刻が飾られています。この奥に御本社があります。
東西透塀(すきべい)(国宝)
唐門から左右に延び、本殿、石の間、拝殿を囲み、全長は160mにもなります。文字通り塀の中が透かして見えるのでそのように呼ばれています。塀全体がカラフルで唐獅子や龍、麒麟のような想像上の動物や、菊、牡丹などの花、孔子や孟子などの人物の彫刻などが施されています。
御本社(国宝)
御本社は、東西透塀で囲まれている中の本殿・石の間・拝殿のワンセットの「権現造」で、東照宮の中で最も絢爛豪華な建築群とされています。拝殿には「将軍着座の間」・「法親王着座の間」があり天井にはそれぞれ違った龍が狩野一派によって描かれ、本殿には家康が神格化したといわれる東照大権現が安置されています。
五重塔(重文)
1648年、小浜藩主酒井忠勝公によって奉納されました。高さ35mと少し小さめの塔で、現在のものは1818年に再建されたものです。
神厩舎・三猿(しんきゅうしゃ・さんざる)<重文>
神厩舎(しんきゅうしゃ)は神の乗り物である神馬(しんめ)の厩舎です。昔、猿は馬を災難、病気から守るとされていたことから、ここに三猿を始めとする猿の彫刻が施されているのだと思われます。「見ざる、言わざる、聞かざる」は「幼少期には悪事を見ない、言わない、聞かない方がいい」という教えです。
奥の宮・拝殿(重文)
昔は、将軍でないと昇段、参拝は許されませんでした。建物全体が銅板で包まれており、その上に黒漆が塗られています。
奥の宮・鋳抜門(いぬきもん)<重文>
1650年唐銅製で屋根・柱・壁などを鋳造し、それを組み立てたもので鋳抜門(いぬきもん)と言います。
奥の宮・御宝塔(御墓所)<重文>
御祭神・徳川家康公の神柩をおさめた宝塔で、八角九段の基盤の上に立ち高さは5mです。当初は、木造でしたが、石像に改められ5代将軍・綱吉の時に現在の唐銅製(金・銀・銅の合金)に改鋳されました。
日光東照宮・境内(史跡)
案内
〒: 321-1431
住所: 栃木県日光市山内2301 日光東照宮社務所
℡: 0288-54-0560