無量光院の歴史
平泉の無量光院(むりょうこういん)は、奥州藤原氏三代・藤原秀衡(ふじわらのひでひら)によって建立されました。現在は度重なる火災で、土塁や礎石が残っているだけです。発掘調査の結果、宇治の平等院より規模が大きかったと推定されます。本堂の規模は鳳凰堂と同等ですが、翼廊の長さが一間(約181cm)ほど長かったようです。建物全体は東向きに作られ、西には金鶏山が見えます。夕日が本堂の背後の金鶏山に沈み、浄土思想が伺えます。
遺産登録
ユネスコ世界遺産登録(2011)平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群
無量光院院跡の見所
無量光院跡(特別史跡)
奥州藤原氏の滅亡以降、無量光院は度重なる火災で焼失し、今日では土塁や礎石・池跡が残るのみで、跡地には水田と松林があるだけです。1952年に行われた発掘調査によって、本堂や庭園の規模や配置が明らかになり、『吾妻鏡』(あずまかがみ)の記述が裏付けられました。
無量光院跡から金鶏山(きんけいさん)
京都・宇治の平等院も今は亡き無量光院も本尊は阿弥陀如来でした。そして阿弥陀如来のいる西方を西方浄土と考えられています。無量光院の正面に立って、春秋の彼岸の時に金鶏山をみれば金鶏山の真上に日が沈み、その姿は阿弥陀如来そのものになります。
案内
〒: 029-4102
住所: 岩手県西磐井郡平泉町平泉字泉屋61-7 平泉観光協会
℡: 0191-46-2110