根来寺

根来寺の歴史

根来寺(ねごろじ)は、1126年高野山にいた覚鑁(かくばん)上人が紀州の土豪平為里(たいらのためさと)により、法会供物料として石手荘(いわでのしょう)〈荘園〉を寄進され、その地に神宮寺を建てたのが始まりで、高野山で他の衆徒と確執が生ずるようになった覚鑁上人は大伝法堂院の僧侶700人の弟子を連れて根来に移ることになりました。これが根来寺の前身になりますが覚鑁(かくばん)上人は数年後に亡くなってしまいます。それから、時が経ち頼瑜(らいゆ)僧正が再び高野山から大伝法堂院の僧侶を率いて根来寺に移り、その後聖憲尊師に受け継がれ「新義教学」として大成することになります。寺院の勢力を非常に大きくした根来寺はその事に脅威を感じた豊臣秀吉から1585年根来攻めにあいそのほとんどの堂宇を焼失してしまいます。そして、大塔・大師堂以外の建物は江戸期、紀州徳川家からの援助によって復興することになるのです。



宗派・本尊など

別名:   一乗山 大伝法院 根来寺
宗派;   新義真言宗 総本山
本尊:   大日如来

根来寺の見所

大塔<多宝塔>(国宝)と大伝法堂

1496年に建立され、豊臣秀吉の根来攻めから残ったもので当時の弾痕もはっきり残っています。又、根来寺の大塔は、日本最大の木造多宝塔でもあり、境内は国の史跡にも指定されています。

根来寺・大塔
                                           






根来寺・大塔
                                      大塔<多宝塔>






大師堂(重文)

大師堂も秀吉の根来攻めから運よく残ったもので、創建は大塔と同時期のものです。

根来寺・大師堂
                                           






常光明真言殿(じょうこうみょうしんごんでん)

通常、光明殿と言い、ここから行者堂や聖天堂そして、本坊と光明殿に囲まれた名勝庭園を観賞することができます。

光明殿
                                           






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名勝庭園(名勝)

名勝庭園は3種類あります。

名勝庭園
                                枯山水庭園(江戸時代作庭)






名勝庭園
                               枯山水庭園(江戸時代作庭)






名勝庭園
                           池泉式蓬莱庭園の池庭(江戸時代作庭)






名勝庭園
                      平安時代から残る聖天池・奥左-聖天堂・奥右-行者堂






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鐘楼門

鐘のついた門を鐘楼門と言います。

鐘楼門
                                           






その他

根来攻め

根来寺は室町~戦国時代寺領も70万石を超えるほど勢力がありました。その領地を自衛する為の根来衆と呼ばれる2万の僧兵を抱え最盛時には坊舎80余、建造物2700も在ったそうです。さらに、根来塗什器(ねごろぬりじゅうき)や衣類を自給自足し鉄砲や弓矢も山内で生産していました。このことに脅威を感じた豊臣秀吉は師、織田信長の比叡山焼き討ちと同じ行動にでたのです。

案内

〒:649-6202
所在地:和歌山県岩出市根来2286
℡:0736-62-1044

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地域別日本遺産









根来寺
                                           






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