建仁寺

建仁寺の歴史

建仁寺(けんにんじ)の開山は栄西(ようさい又はえいさい)ですが、栄西は備中、岡山県の吉備津宮の社家の子でしたが、14歳で髪を剃り比叡山で天台宗を学び二度宋に渡って日本に禅宗をもたらすことになります。建仁2年(1202年)鎌倉時代初期、当時の年号から建仁寺という名前の寺院を現在地に造営しました。しかし、当時はやはり、比叡山などの旧勢力が強く、なかなか布教も出来ない状況でした。創建当初は天台・密教・禅宗の三宗兼学の寺院でしたが、第11世の蘭渓道隆の時から臨済禅の道場となることになりました。建仁寺は応仁の乱など度度、火災にあっており、当時の建物はありません。



宗派・本尊など

別名:  建仁禅寺
宗派:  臨済宗 建仁寺派 大本山
本尊:  釈迦如来        

建仁寺の見所

風神雷神図屏風(国宝)

俵屋宗達(たわらやそうたつ)の晩年の最高傑作とされています。二曲一双の屏風で右双に風神、左双に雷神を描いています。

建仁寺・風神・雷神
                                          通常は複製を展示






潮音庭(ちょうおんてい)

建仁寺本坊の中庭にある潮音庭は四方向から眺めれる枯山水の庭です。

建仁寺・潮音庭
                                           






建仁寺・潮音庭
                                 上の写真と逆方向からの眺めです。






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方丈庭園・大雄苑(だいおうえん)<方丈は重文>

白砂に緑苔と巨石を配した枯山水庭園です。七代目小川治兵衛の作庭で、植治の作品として枯山水は非常に珍しい作庭です。

建仁寺・大雄苑
                                           






法堂(はっとう)

 1765年、上棟仏殿兼用の「拈華堂(ねんげどう)で、本尊の釈迦如来坐像を安置しています。

建仁寺・法堂
                                           






建仁寺・双龍図
法堂の天井には、2002年、創建800年を記念して小泉淳作画伯による双龍が描かれました。
                                          (通常拝観可)






望闕楼(ぼうけつろう)

静岡県浜松市西区雄踏町山崎(旧・浜名郡雄踏町)安寧禅寺から移築されたもので、御所を望む楼閣ということで、望闕楼と名付けられました。

建仁寺・望闕楼
                                           






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塔頭寺院

建仁寺の主な塔頭寺院(たっちゅうじいん)

両足院(りょうそくいん)

年に数回の特別公開以外は予約で座禅体験の申し込みもやっています。
半夏生が化粧し始めるころ公開されます。

建仁寺・両足院
                                   半夏生(はんげしょう)の庭






水月亭
      織田有楽斎(おだうらくさい)好みの国宝茶室・『如庵』の写し水月亭






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大統院

大統院の南庭は「耕雲庭」といい、2009年、現代作庭家・北山安夫の作庭によります。

建仁寺・大統院
                                           






六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)

小野篁公が夜毎、冥界に通っていたと言われる井戸があります。
又、お盆の迎鐘で知られています。迎鐘にたいして矢田寺の送り鐘があります。

六道珍皇寺・迎鐘
                                           






禅居庵(ぜんきょあん)

建仁寺第23世、清拙正澄(せいせつしょうちょう)(1274-1339年)が晩年退隠された塔頭寺院です。

建仁寺・禅居庵
                                           






 他、塔頭寺院多数。高台寺と法観寺(八坂の塔)は建仁寺の末寺になります。



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その他

京都で最初の禅寺

建仁寺を開いた栄西上人は、当時旧勢力(特に延暦寺)の反対などで京都では活動が制限されてしまい、最初に禅寺を開いたのは、福岡市博多の聖福寺そして、鎌倉の寿福寺そして、将軍の後ろ盾に京都で建仁寺を開くことができました。




京都五山の三位(きょうとござんのさんい)

建仁寺は、室町時代1386年には、京都五山の三位となり臨済宗の大寺院として認められていました。




建仁寺の学問面(がくもんづら)

建仁寺は詩文芸に秀でた僧を輩出し、五山文学と呼ばれる文芸を作りだし、建仁寺の学問面と呼ばれるようになったそうです。




茶祖

栄西は宋から帰ってくるときにお茶の種を持ち帰って、日本で栽培することを奨励した事により『茶祖』と呼ばれています。その事により、喫茶の法を普及させ日本茶道の基礎が築かれました。その種を高山寺の明恵上人(みょうえしょうにん)に与えて日本初の茶園の基となりました。




海北友松

建仁寺には『山水図』、『花鳥図』、『雲龍図』と呼ばれる有名な襖絵がありますが、それは海北友松(かいほうゆうしょう)という絵師の確実な作品であるとされています。



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案内

〒:605-0933
所在地:京都市東山区大和大路四条下ル小松町
℡:075-561-6363

まめ情報

近くのお店・・・・
鳥彌三(とりやさ)
京都市下京区西石垣通四条下ル斉藤町136番地(お近くの駐車場をご利用ください)
℡:075-351-0555
営業時間:11:30~16:30(LO16:00)
       16:00~22:00(LO20:30)
定休日:不定休
1788年より続く、あの坂本竜馬も好んで食したといわれている『鳥彌三』。お店の建物自体も登録有形文化財ともあり店内の様子もその時代を思わせます。玄関から入ったところの建物は当時のままで時代と共に修復も必要。2011年、ジャッキで建物ごと持ち上げて建物の傾きを修復されたそうです。鳥彌三はこうやって秘伝のスープの味と建物を長年に渡って守り続けているのです。

鳥彌三



鳥彌三



鳥彌三



鳥彌三・水炊きお昼のコース 鳥彌三・水炊きお昼のコース 鳥彌三・水炊きお昼のコース 鳥彌三・水炊きお昼のコース 鳥彌三・鳥の皮揚げ 鳥彌三・水炊きお昼のコース』 鳥彌三・水炊きお昼のコース 鳥彌三・水炊きお昼のコース』 鳥彌三・水炊きお昼のコース 鳥彌三・外から覗く猫 鳥彌三・外から覗く猫

写真はお昼の水炊きのコース(12600円税サ込)です。水炊きの鍋は清水焼で、今では鍋をつくる職人さんの数も減ったそうで、大事に使われているそうです。小鉢や八寸なども、目を楽しませてくれます。鳥の皮を揚げたものも(こちらは単品)サクッとした香ばしいお酒の肴にも勿論良し。何といっても最高の水炊き、柔らかい鶏肉と京野菜、三日かけて取るだしの味、全てが満足感を与えてくれます。個室は7部屋あるそうですが、2人用の個室は2部屋。なかなか取っていただくのも大変そうです。前もって予約をお勧めします。夏には納涼床が用意されるそうです。(2012年、2月現在)




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祇園 う桶や う
京都市東山区祇園西花見小路四条下ル
℡:075-551-9966
営業時間:11:30~LO14:00
     17:00~21:00(LO20:00)
定休日:月曜日
う桶や「う」といわれるだけあり、三人前から手桶で運ばれてくるという「う桶」がウリです。勿論うな丼など、他のメニューもあるのでご安心を。

う桶や う

う桶や う・店内 う桶や う・うな丼

写真はうな丼(お吸い物・お漬物付き)、脂ののった柔らかい触感です。テーブルにはタレがおかれていて、お好みでたすのもよし・・・。うなぎも勿論美味ですが、付け合わせの蕪のお漬物もうなぎの味を引き立てます。(2012年 3月)


みなとや幽霊子育飴本舗(ゆうれいこそだてあめほんぽ)
京都市左京区吉田泉殿町53
℡:075-561-0321
営業時間:9:00~16:00
定休日:不定休
建仁寺・六道珍皇寺の近くに位置しています。幽霊子育飴・・・このようなお話しが伝えられています。1599年、夜になると飴を買いに来る女性がいました。不審に思った店の店主は、女性の後をつけてみます。何とそこは墓地。するとどこからか赤子の泣き声・・・。墓を掘り起こすと亡くなった女性が墓の中で出産。この母親は幽霊になって子供を子育飴で育てたというお話。赤子を助けてから幽霊は飴を買いに来ることはなくなったといいます。この助けられた子供は六道珍皇寺の僧侶になり、1666年に68歳で入寂したという話があります。

みなとや幽霊子育飴本舗

幽霊子育飴 幽霊子育飴

写真は300円の一番小さいサイズです。水飴と砂糖で作ったシンプルな飴。この怖いお話と飴をセットにお土産話はいかがでしょうか。(2011年 3月)


地域別日本遺産









建仁寺・双龍図
                                           




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京都遺産(目次)


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