勝連城の歴史
勝連城(かつれんぐすく)の城主・阿麻和利(あまわり)は、東アジアを中心とする海外交易を盛んに行って勢力を拡大した有力な按司(あじ)で、琉球が統一された後も琉球王府から唯一王権を脅かす存在とされていました。首里王府は、阿麻和利を抑えるために中城城(なかぐすくじょう)に護佐丸(ごさまる-人の名前)を配備したり、琉球王・尚泰久(しょうたいきゅう)の娘で絶世の美女と言われた百度踏揚(ももとふみあがり)を嫁がせるなどの策を講じました。しかし、阿麻和利の王権への野望は果てることなく、中城城主の護佐丸を倒した後、1458年首里城を攻めましたが、返り討ちにあい王府軍に滅ぼされたとされています。
遺産登録など
ユネスコ世界遺産登録(2000) 琉球王国のグスク及び関連遺産群 (世界文化遺産)
勝連城跡の見所
勝連城跡(かつれんじょうあと)<史跡>
勝連城(かつれんぐすく)は、沖縄県うるま市にあり、今は傾斜を利用して積み上げられた城壁のみが残っています。 琉球王国に最後まで抵抗した豪族・按司(あじ)阿麻和利(あまわり)が住んでいた城です。阿麻和利はクーデターを起こしてこの地方の按司となり、琉球の統一を目論みましたが、1458年に琉球王府によって滅ぼされました。
案内
〒: 904-2311
住所: 沖縄県うるま市勝連南風原3908 勝連城跡休憩所
℡: 098-978-7373