延暦寺の歴史
延暦寺(えんりゃくじ)は、788年(延暦7年)に最澄(さいちょう)が根本一乗止観院(こんぽんいちじょうしかんいん)という草庵を比叡山(ひえいざん)に建てたのが始まりです。延暦寺は、桓武天皇の支持を得て京都の鬼門(北東)を護る国家鎮護の道場として次第に栄えるようになり、比叡山の山上から東麓にかけた境内に点在する東塔(とうどう)、西塔(さいとう)、横川(よかわ)など、三塔十六谷の堂塔の総称をいいます。しかし、延暦寺は次第に一国の国に勝るほどの強大な勢力をを持つようになり白河法皇は、「賀茂川の水、双六の賽(すごろくのさい)、山法師(やまほうし)。これぞ朕(ちん)が心にままならぬもの」と山法師(延暦寺の僧兵)をおそれました。その強大な勢力を抑えつけようと、室町六代将軍・足利義教の弾圧やその後、安土桃山時代の織田信長の延暦寺焼き討ちなどで幾度と焼失しました。
また、比叡山延暦寺は臨済宗・栄西(ようさい・えいさい)、曹洞宗・道元(どうげん)、浄土宗・法然(ほうねん)、浄土真宗・親鸞(しんらん)、日蓮宗・日蓮(にちれん)、融通念仏宗・良忍(りょうにん)などさまざまな宗派の開祖を多く輩出している寺院で、日本の宗教の元となる寺院と言っても過言ではないでしょう。そして、現在延暦寺は、国の史跡に指定され世界遺産にも登録されています。
宗派・本尊など
別名: 比叡山・叡山
宗派: 天台宗 総本山
本尊: 薬師如来
ユネスコ世界遺産登録(1994) 京都17寺社
延暦寺の見所
東塔(とうどう)地区
大講堂(重文)
昭和39年に比叡山麓・大津市坂本の諸堂を移築したものです。
根本中堂(こんぽんちゅうどう)<国宝>と回廊(重文)
延暦寺を開いた最澄が788年、創建した一乗止観院(いちじょうしかんいん)が始まりで、その後何度も焼失しましたが、復興の度に規模も大きくなりました。現在のものは、徳川家光の命で1642年に竣工したものです。また、御本尊・薬師如来の前には『不滅の法灯』が1200年灯り続けています。
文殊楼(もんじゅろう)
延暦寺の山門になり、文殊菩薩が二階に安置されています。
戒壇院(かいだんいん)<重文>
1678年の再建で国の重要文化財で、尚且つ世界遺産の登録物件です。
東塔と阿弥陀堂
東塔は昭和55年、阿弥陀堂の横に再建されました。普通の多宝塔と違い上層部の形が円でなく正方形になっています。また、阿弥陀堂は昭和12年建立で壇信徒の道場で、一般の人たちの法要も行っています。
西塔地区
相輪とう(そうりんとう)<重文>
明治二十八年に改鋳されたものです。仏舎利を納める塔とはちがい、なかには写経が入っているそうです。
常行堂(重文)
常行三昧をする阿弥陀如来を本尊とする常行堂です。
法華堂(重文)
法華三昧をする普賢菩薩を本尊とする法華堂です。
常行堂(重文)と法華堂(重文)=担い堂(にないどう)
同じ形をしたお堂が廊下によってつながっています。その昔、弁慶が廊下の部分を肩に担いで持ち上げたという伝説があり二つのお堂をあわせて担い堂と呼ばれています。
釈迦堂(転法輪堂)<重文>
西塔の本堂です。豊臣秀吉が1596年三井寺(園城寺)の金堂を移築したものです。また、延暦寺で一番古い建造物です。
瑠璃堂(るりどう)<重文>
室町時代の様式で、織田信長の延暦寺焼き討ちを逃れた唯一の堂といわれています。
横川(よかわ)地区
横川中堂
横川地区の本堂で、昭和46年再興の舞台づくりの建造物です。
案内
〒: 520-0116
住所: 滋賀県大津市坂本本町4220 比叡山延暦寺総務部
℡: 077-578-0001