熱田神宮

熱田神宮の歴史

熱田神宮(あつたじんぐう)の創始は、景行天皇(けいこうてんのう)43年・西暦113年に日本武尊(やまとたける)が草薙剣(くさなぎのつるぎ)を持って蝦夷征伐(えぞせいばつ)を行い活躍したのち、草薙剣を妃=宮簀媛命(みやすひめのみこと)に預けておきましたが、日本武尊は伊勢国能褒野(のぼの)=亀山の辺りでお亡くなりになります。 宮簀媛命は熱田に社地を定め、草薙の神剣を御神体としてそこにおさめることにしました。これが、熱田神宮の始まりです。このことから、三種の神器のうち草薙剣は熱田に置かれ、伊勢神宮に次いで権威ある神社として栄えることになりました。また、熱田神宮には草薙の剣に縁のある神様が多く祀られています。 668年、草薙の剣は新羅の僧に盗みだされた時もありましたが、神の怒りをかい無事戻ることになります。そして、現在でもその神剣は熱田神宮にあるとされています。

宗派・主祭神など

宗派:    日本神道
主祭神:  熱田大神(あつたのおおかみ)
        天照大神(あまてらすおおみかみ)
        素盞嗚尊(すさのおのみこと)
        日本武尊(やまとたけるのみこと)
        宮簀媛命(みやすひめのみこと)
        建稲種命(たけいなだねのみこと)


熱田神宮の見所

熱田神宮・本宮

熱田神宮は、三種の神器(草薙の剣)奉斎の社であることから伊勢神宮とほぼ同様の社殿配置・規模の神明造りに改造されました。本宮の拝所は外玉垣御門(とのたまがきごもん)の前で、この御門と四尋殿(よじんでん)を併せ拝殿といい、東西翼廊を付設しています。 その拝殿より御垣内(みかきうち)を拝すると、一番奥に最も高く千木(ちぎ)・勝男木(かつおぎ)の見える社殿が「本殿」で、熱田大神はここに鎮まります。

熱田神宮・本宮
                                  






熱田神宮・信長塀(のぶながべい)と大幸田神社(おおさきだじんじゃ)

織田信長は、1560年桶狭間の戦い前夜清洲城で軍議を開き、熱田神宮で戦勝祈願を行いました。そして、必勝祈願を終えた信長は、桶狭間で今川義元を討ち取り天下に名をあげることになります。その戦勝のお礼として信長が寄進したのが築地塀(信長塀)です。 土と石灰を油で練り固め瓦を厚く積み重ねた塀は、兵庫西宮神社の大練塀、京都三十三間堂の太閤塀とともに日本三大土塀の一つとして知られています。 大幸田神社は、五穀をはじめ食物を司る「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」を祀っています。社名からも、田に大きな幸福をもたらすという事がわかります。

熱田神宮・信長塀・大幸田神社
                                  






熱田神宮・大楠(おおくすのき)

弘法大師のお手植えと伝えられ、手水舎北側にあり、樹齢は約千年になるということです。

熱田神宮・大楠
                                  






熱田神宮・境内

熱田神宮は、名古屋市熱田区の街中ですが、「熱田の杜(もり)と呼ばれる六万坪の森の中に鎮座し、本来は、騒々しい街中であるにもかかわらず、森に足を踏み入れると静寂な聖域を感じることができます。

熱田神宮・境内
                                  






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その他

熱田神宮・境内の「宮きしめん」

古来より、熱田神宮界隈は、東海道の宿場町として、また門前町として古くから賑わいをみせてきました。「宮きしめん」は、その熱田神宮を発祥の地とし、宮司様から熱田神宮の「宮」の名前を頂き、「宮きしめん」と命名することをお許しいただいたそうです。 熱田神宮境内に入ると「宮きしめん」のいい匂いが漂ってきます。

熱田神宮・宮きしめん
                                  






案内

〒:    456-8585
住所:   愛知県名古屋市熱田区神宮1-1-1  熱田神宮宮庁
℡:     052-671-4151



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