三十三間堂の歴史
平安時代、後白河天皇が離宮として建てた法住寺殿がありましたが、攘夷して二条天皇に譲り院政をやっている時代に平清盛に命じ、その法住寺殿内に御所として建造されました。それが、三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)です。三十三間堂はその当時五重の塔もあり朱塗りの外装で内装もまた極彩色の建築様式だったそうです。その後、鎌倉時代に焼失し現在は五重の塔はありませんが復興され、現在では『通し矢』や『楊枝のお加持』(やなぎのおかじ)などの行事が引き継がれている歴史を感じさせる寺院です。
宗派・本尊など
別名: 蓮華王院本堂
宗派: 天台宗
本尊: 千手観音
三十三間堂の見所
本堂(国宝)
長さ120mと南北に延びるお堂内陣の柱間が33もあるという建築的な特徴によりその名が『三十三間堂』と呼ばれるようになりました。和様、入母屋造りの本瓦葺き。さらに、三十三間堂は基礎地盤の部分と建築的な部分で地震を予想した免震工法が施されたお堂なのだそうです。
三十三間堂の仏像
本堂の中には、本尊千手観音坐像(国宝)と千体千手観音立像(重文)、さらには、風神・雷神像(国宝)、二十八部衆(国宝)など圧巻の迫力で必見の価値があります。慶派の仏師、湛慶が本尊千手観音坐像を手掛け、千体千手観音立像のうち9体は湛慶の作であることが分かっています。さらにその他の木造風神雷神像や二十八部衆も慶派が手掛けていることが分かっています。
その他
妙法院
三十三間堂は妙法院の境外仏堂です。妙法院の昔の境内は相当広く、東大路(ひがしおおじ)通りをはさんで今の国立博物館や三十三間堂を余裕で含むものでした。三十三間堂近くにある門は昔の妙法院の門にあたります。
楊枝のお加持
毎年一月十五日に近い日曜日に妙法院の門主が、千手観音様に祈願した法水を参拝者の頭に注ぎ一年間の無病息災を祈る平安時代からの行事、。特に頭痛に良いとされます。それは後白河天皇が頭痛持ちでその頭痛封じにあやかったもの。
通し矢
『楊枝のお加持』と同日に行われています。江戸時代より行われている行事で、三十三間堂本堂西側で各藩の弓術家が120m先の的を一昼夜かけて矢を何本通せるかを競った『通し矢』が起源で今では、羽織袴で全国の有段者たちが60m先にある1mの的を狙います。少し昔とは趣が違っていますが、正月の風物詩として引き継がれています。
案内
〒:605-0941
所在地:京都市東山区三十三間堂廻り町657
℡:075-561-0467