養源院の歴史
養源院(ようげんいん)は豊臣秀吉の側室、淀君(よどぎみ)が父、浅井長政の追善の為に1594年建立した寺院です。
浅井長政の法号から『養源院』としました。建立後すぐに火災にあいましたが、淀君の妹(三女)「崇源院」、徳川秀忠の妻であるお江与(通称、お江)が本堂を再建し、以来徳川家の菩提所となります。他、伏見城に籠城して鳥居元忠以下380人余りが自刃した時の廊下の板を供養の為、天井にはりその霊を供養しました。それを血天井といいます。
宗派・本尊など
別名: 血天井・宗達寺
宗派: 浄土真宗 遣迎院派
本尊: 阿弥陀如来
養源院の見所
血天井
関ヶ原の戦いの前、徳川家康の留守中に徳川方、鳥居元忠以下2000人余りの兵は伏見城で留守番役をまかされますが、石田光成を中心とした反家康派、4万の兵が挙兵、城を包囲されます。13日の戦いの末伏見城は落城し、残った380余人は伏見城の中で自決しました。その後、2か月以上放置され凄惨な状況の廊下の板は洗っても跡が取れず供養の為、天井にはりその霊を供養したのです。他に伏見城の血天井のある寺院は正伝寺、源光庵、宝泉院、興正寺などです。
襖絵と杉戸絵
俵屋宗達作の(重要文化財)があり、これも伏見城にて自刃せざるを得なかった兵士たちの霊を供養するために描かれたものと伝えられています。杉戸の象や唐獅子、麒麟などを図案化 した構図は、表現の奇抜さでも知られています。2010年になってこの唐獅子図の隣りに、江戸時代よりたった一軒続いてきた唐紙屋となる唐長の唐紙師トトアキヒコ による「星に願いを」が奉納されました。「星に願いを」は、希望者のみ拝観できます。
本堂
豊臣秀吉の伏見城の殿舎が移築されました。
鴬張廊下(うぐいすばりろうか)
日光東照宮『眠り猫』を彫った左甚五郎が造ったとされます。
庭園
東山を借景とした小堀遠州(こぼりえんしゅう)の作庭によるお庭があります。(拝観不可)
案内
〒:605-0941
所在地:京都市東山区三十三間堂廻り町656
℡:075-561-3887