源光庵

源光庵の歴史

源光庵(げんこうあん)は、1346年臨済宗の大本山、大徳寺の徹翁国師の開創により、当初は、復古堂と呼ばれていました。その後、江戸時代1694年加賀(石川県、金沢)の道白禅師が住持になり、曹洞宗に改宗されました。本堂の中には、『悟りの窓』と呼ばれる丸窓と『迷いの窓』と呼ばれる角窓がありますが、悟りの窓には、円型に「禅と円通」の心を表し、円は大宇宙を表すといい、迷いの窓には角型に「人間の生涯」を象徴し、生老病死の四苦八苦を表しているそうです。又、伏見城の遺構の血天井も供養されています。

宗派・本尊など

別名:  寶樹林 源光庵
宗派:  曹洞宗
本尊:  釈迦牟尼仏

源光庵の見所

本堂

1694年の創建で、道白禅師に帰依した、金沢の富商、中田静家の寄進により建立されました。血天井があるのもこの本堂で、『悟りの窓』と言われる丸窓と『迷いの窓』と言われる角窓があります。

源光庵・本堂
                                        






源光庵・本堂
                                        






悟りの窓、迷いの窓
左が『悟りの窓』で右が『迷いの窓』です。迷いがなくなると角が取れます。

源光庵・左、悟りの窓・右、迷いの窓
                                        






源光庵・庭園
                                        






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血天井
源光庵の本堂には、血天井と呼ばれる張り天井があります。関ヶ原の戦いの前、徳川家康の留守中に徳川方、鳥居元忠以下1800人余りの兵は伏見城で留守番役をまかされますが、石田光成を中心とした反家康派、4万の兵が挙兵、城を包囲されます。13日の戦いの末伏見城は落城し、残った380余人は伏見城の中で自決しました。その後、2か月以上放置され凄惨な状況の廊下の板を供養の為、天井にはりその霊を供養したのです。他に、伏見城の血天井がある寺院は、養源院、正伝寺、宝泉院、興正寺です。

源光庵・血天井
                                        






源光庵庭園
本堂裏の枯山水庭園で北山を借景としています。

源光庵・庭園
                                        






源光庵・庭園
                                        






案内

〒:603-8468
所在地:京都市北区鷹峯北鷹峯町47
℡:075-492-1858


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地域別日本遺産









源光庵
                                        




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