唐招提寺の歴史
唐招提寺(とうしょうだいじ)は、多くの苦難の末、来日をはたされた鑑真上人が東大寺で5年を過ごした後、新田部(にたべ)親王の旧宅地(現在の奈良市五条町)を下賜されて、759年に戒律を学ぶ人たちのための修行の道場を開かれたのが始まりです。唐招提寺と名ずけられ鑑真上人の私寺として始まったころは講堂や新田部親王の旧宅を改造した経蔵、宝蔵があるだけでした。金堂は8世紀後半鑑真上人の弟子、如宝の尽力により完成したそうです。
宗派・本尊など
宗派: 律宗 総本山
本尊: 盧舎那仏坐像
ユネスコ世界遺産登録(1998) 古都奈良の文化財
唐招提寺の見所
金堂(国宝)
鑑真上人により創建された時の姿を残す代表的な建築物です。鑑真上人と唐招提寺の歴史は作家・井上靖の『天平の甍』で多くの方に知られていると思います。仏教界を確立するための遣唐使、普照と栄叡、二人の僧が教えを乞うために唐にわたり仏教者に戒律を授ける「導師」「伝戒の師」として鑑真上人とめぐり会います。鑑真上人は高名な僧で国の宝として扱われていたので唐からの出国を固く禁じられていました。密出国という手段を用いて何度も日本への渡航を試みますが出航できなかったり、船が難破してしまうなどの災難にあい6回目の渡航にして初めて日本の地を踏みます。ここまでの年月、普照・栄叡が唐にわたって20年、鑑真が日本に行くことを決意して12年の歳月がかかったといわれています。その長い苦労で鑑真上人は盲目の身となられました。その後鑑真上人は5年の歳月を東大寺で過ごしたのち唐招提寺の創建を行います。鑑真上人は唐招提寺で5年を過ごし、ここで最後の時を迎えられます。金堂内には本尊・蘆舎那仏坐像、右に薬師如来立像、左に千手観音立像が安置されていて、すべてが国宝です。
普照は唐招提寺の境内に入るとそのたびに金堂の屋根を仰いだそうです。
唐招提寺金堂の大棟の端にそびえる鴟尾(しび)
(普照によって提供された鴟尾といわれています。)
(現在の鴟尾は新しい鴟尾で奈良時代のは保管されています。)
講堂(国宝)
平城京の東朝集殿(ひがしちょうしゅうでん)を移築・改造したもので、中には本尊弥勒如来坐像・持国天、増長天立像他多くの仏像が安置されています。
鼓楼(国宝)
名称は「鼓楼」ですが、太鼓ではなく鑑真上人が唐から請来した仏舎利が安置されていることから「舎利殿]ともいわれています。
宝蔵(国宝)
経蔵と共に立つ校倉(あぜくら)で大きいほうです。唐招提寺の創建と合わせて建てられました。
経蔵(国宝)
礼堂の東側に宝蔵と共に立つ小さいほうの建物です。唐招提寺建設以前の建物でここで最も古い日本最古の校倉です。
鑑真上人御廟
境内の北東、一番奥に鑑真上人の御廟があります。その場所は静けさに満ち溢れています。故郷の揚州から送られてきた瓊花(けいか)が植えられ春に花を咲かせます。
唐招提寺境内
唐招提寺の境内の建物のほとんどが国宝・重要文化財です。
その他
蘆舎那仏坐像
金堂の本尊である蘆舎那仏坐像は高さ3mを超え、光背を入れると5.15mに及ぶといわれています。光背には化仏が864体あります。本来は1000体あったといわれています。
千手観音立像
本尊、蘆舎那仏の左に安置される千手観音立像は5.36mの高さがあります。ほとんどの千手観音は40本の手と合掌している手を入れて42本ですが唐招提寺の千手観音は大手42本、小手911本の953本の手があります。当初は1000本あったともいわれています。
案内
〒:630-8032
所在地:奈良県奈良市五条町13-46
℡:0742-33-7900