修学院離宮の歴史
修学院離宮(しゅうがくいんりきゅう)は江戸時代初期、後水尾上皇の指示で修学院の地に広大な山荘を造営したことに始まります。修学院離宮は上離宮・上の茶屋(かみのちゃや)、中離宮・中の茶屋(なかのちゃや)、下離宮・下の茶屋(しものちゃや)の3つに分けられていて、周辺景色に、田園風景やそこで働く人々、そして山々をもとり込んだ作庭がなされています。そしてその各々を結ぶのに細い松並木でつながっている池泉回遊式の広大な庭園です。数寄屋造の代表事例の『桂離宮』とならんで、江戸初期の代表的山荘とされています。
修学院離宮の見所
寿月観「下離宮」
こけら葺き数寄屋造りで扁額は後水尾上皇が書いたものです。
楽只軒と客殿「中離宮」
楽只軒は、修学院離宮の建物として古いほうに属します。瓦葺の裾のこけら葺を足した屋根が特徴です。客殿は、御水尾上皇の皇后東福門院の女院御所(現、大宮御所の場所にあった) の奥御対面所を死後移築したものです。
霞棚(かすみだな)「中離宮」
修学院離宮、中離宮・客殿一の間にある違い棚です。「 天下三大名棚」と呼ばれ、それぞれ醍醐寺三宝院の『醍醐棚』、桂離宮の『桂棚』、修学院離宮の『霞棚』がそれにあたります。
祇園祭山鉾の杉戸
中離宮・客殿の西縁北側にあり杉戸に祇園山鉾の絵が書いてあります。 絵を見ると現在の鉾飾りと違っています。
隣雲亭「りんうんてい」(上離宮)からの眺め
隣雲亭は上離宮でももっとも高い位置にあり下の浴龍池と遠くの山々をとりいれた借景はとても素晴らしいものです。
窮邃亭「きゅうすいてい」(上離宮)
窮邃亭は、修学院離宮において創建当時のまま残る唯一の建築物です。 簡素ながら上皇の御座所にふさわしい造りになっています。
千歳橋(上離宮)
光格天皇の御代に京都所司代、藤紀伊守信敦が進献したものです。
御舟宿「おふなやどり」(上離宮)
浴龍池は御舟遊びの場であり、島々を周りながら管弦に興ぜられまた、詩歌の会などを楽しまれました。
浴龍池「よくりゅうち」(上離宮)の景色
修学院離宮は特に秋が美しいです。
案内
〒:606-8052
所在地:京都市左京区修学院藪添
℡:075-211-1215 宮内庁京都事務所
インターネット又は、往復はがきでの申し込み制です。
参観希望日の3カ月前の月の1日午前5時からインターネットでの申し込み可
18才以上からの参観となります。