三千院の歴史
三千院(さんぜんいん)は、788年最澄の時代に比叡山に建立された「円融房」に起源をもち、後に、滋賀県の坂本、梶井に移され円融房を本坊とする里坊、「円融院」が創建されました。 白河天皇の中宮、藤原賢子(ふじわらけんし)の菩提を弔うため「円徳院」となり円融院の里房梶井となります。平安末期、堀川天皇の第二皇子、最雲法親王(さいうんほうしんおう)が円徳院の門主、梶井14世となり以来「梶井門跡」と称され青蓮院、妙法院の天台宗三門跡の一つになりました。1232年の火災で坂本から京都市内に移り、その後も各地を転々としました。しかし、大原の地に梶井門跡の政所が設置され来迎院、勝林院などの管理が行われるようになりその後、1871年に現在の地に移され、梶井門跡の仏堂の名称「一念三千院」から「三千院」と改称されました。
宗派・本尊など
別名: 梶井門跡又、三千院門跡
宗派: 天台宗
本尊: 薬師如来
三千院の見所
御殿門
城壁を思わせる高い石垣に覆われた立派な門で、大原・三千院の拝観入口になります。
往生極楽院阿弥陀堂(重文)
もともと、平安時代末期から大原にあった寺院で三千院とは別のものでした。往生極楽院の本尊、阿弥陀三尊坐像(国宝)と右脇侍、観音菩薩坐像(国宝)と左脇侍の勢至菩薩坐像(国宝)があり、左右両脇侍は大和座り(正座)をしている珍しい仏像です。
有清園(ゆうせいえん)
広大な池泉回遊式庭園です。
聚碧園(しゅうへきえん)
客殿の南側にある池泉鑑賞式の庭園で金森宗和の修築です。
瑠璃光庭(るりこうてい)
宸殿南側の有清園の中にある杉苔で覆われた庭園です。
朱雀門
南にある三千院(もともとは、往生極楽院)の正門ですが、普段より閉められたままです。入口は西の御殿門からとなります。
その他
魚山声明(ぎょざんしょうみょう)
声明は、もともと寺院で行われる法要儀式で、仏典に節をつけた宗教音楽です。又、
日本の音楽の源流だと言われています。大原の地は声明の発展の地で、中国の声明の発祥の地である魚山(ぎょざん)を擬して魚山とつけ各寺院の山号も魚山となっています。
呂川、律川(りょせん、りつせん)
大原三千院の北側に呂川、南側に律川が流れています。
声明の里である大原にちなんで、声明の呂(呂旋法)と律(律旋法)から名付けられているそうです。呂曲(呂旋法)を律旋法で唱誦するときに、うまく呂と律の使い分けが出来ないことを
「呂律(ろれつ)が回らない」と言うようになりました。
案内
〒:601-1242
所在地:京都市左京区大原来迎院町540
℡:075-744-2531
まめ情報
近くのお店・・・・
料理旅館 魚山園
京都府京都市左京区大原来迎院町454(30台の駐車場あります)
℡:075-744-2321
営業時間:昼食10:00~17:00
夕食17:00~21:00(LO19:00)
定休日:無休
三千院の入口、手前にある料理旅館、魚山園。気軽にお料理だけでも頂くことができます。気候のいい時期は月見台で・・・。深緑の頃はとてもきれいで風が心地良いのでお勧めです。
写真は2650円、大原女弁当手さげ膳です。お米の炊き方がとても良く、店内でも販売しているきのこの辛子漬けもなかなかでした。(2011年、5月現在)