西教寺の歴史
西教寺(さいきょうじ)は、聖徳太子が、恩師である高麗の僧、慧慈(えじ)、慧聡(えそう)のために創建されたと伝えられています。その後、延暦寺中興の祖である、慈恵大師良源上人(じえいだいしりょうげんしょうにん)が建てた草庵に始まり、そして恵心僧都(えしんそうず)が入寺して、伽藍が整えられたとされ、室町時代の中期頃に創建されたと推定されています。その後1325年、恵鎮上人(えちんしょうにん)が再興し、円戒道場(天台宗の戒律を授ける道場)として知られるようになりました。それから100年余りが過ぎて1485年、真盛上人(しんせいしょうにん)が復興と、持戒、念仏の布教に努め、西教寺を戒称二門不断念仏の根本道場とされました。
宗派・本尊など
別名: 兼法勝西教寺(けんほっしょうさいきょうじ)
宗派: 天台真盛宗(てんだいしんせいしゅう) 総本山
本尊: 阿弥陀如来
西教寺の見所
客殿(重文)・客殿庭園
客殿は1598年建築で、もとは、豊臣秀吉の伏見城にあった旧殿です。
客殿の庭園は小堀遠州作庭といわれています。
書院庭園
明治初期の作庭です。
本堂(重文)
739年建造されました。本堂・客殿・書院などが建つ中心伽藍は、回廊によってつながっています。
その他
明智光秀
1571年、織田信長によって比叡山焼き討ちの際、ここ西教寺も災禍を被り、その後築かれた坂本城の城主が明智光秀でした。光秀は檀徒となり西教寺の復興に力を注ぎました。総門は城門を移築したもので、鐘楼堂の鐘は陣鐘です。天正10年にこの世を去った光秀は、内室煕子(ひろこ)、一族のお墓と共に祀られています。
案内
〒: 520-0113
住所: 滋賀県大津市坂本5丁目13-1
℡: 077-578-0013