鞍馬寺の歴史
鞍馬寺(くらまでら)は、770年鑑真和上(がんじんわじょう)の高弟・鑑禎上人(がんていしょうにん)が毘沙門天を本尊として奉安したのが始まりとされ、その後、796年に造東寺(ぞうとうじ)長官の藤原伊勢人(ふじわらのいせんど)が貴布禰明神(きぶねみょうじん)のお告げにより、王城鎮護の道場として伽藍を造営し、千手観世音を祀ったとされています。さらに寛平年間(889~898年)には東寺の僧、峯延(ぶえん)が入寺して真言宗の寺になりましたが、天永年間(1110~1113年)に天台座主(てんだいざす)、忠尋(ちゅうじん)が入寺して天台宗に復帰したといわれています。更に、昭和22年(1947年)には鞍馬弘教が立教され、当寺が総本山となり、現在に至っています。
鞍馬寺は、平安時代・京都の北方守護の寺として信仰を集めてました。本殿金堂、多宝塔などは近年再建され、鉄筋コンクリート造りです。本殿裏から奥の院へと続く山道に平安時代この鞍馬寺に出家することを約束に預けられた牛若丸(源義経)の痕跡が多々残っています。
宗派・本尊など
宗派: 鞍馬弘教(くらまこうきょう)総本山
本尊: 尊天(毘沙門天王・千手観世音菩薩・護法魔王尊の三身一体の本尊)
鞍馬寺の見所
仁王門
1891年(明治24年)焼失し、1911年(明治44年)に再建されました。
狛虎(こまとら)
鞍馬寺の開基・鑑禎(がんてい)上人が霊夢のお告げに従い、山城国北方の霊山に登り、山の上方に宝の鞍を乗せた白馬の姿を見ました。その鞍馬山に入ると、突如鬼神に襲われ殺されそうになりましたが、倒れてきた枯れ木に鬼はつぶされ、鑑禎上人は命拾いをします。翌朝気がつくと、そこには毘沙門天の像があったのです。毘沙門天に救われた鑑禎上人は草庵を結びこれを祀ることにしました。毘沙門天が寅年の寅の月、寅の時刻に姿を現したことから、鞍馬寺の毘沙門天は寅を使い鞍馬の山に降り立ったとの故事となり虎が据えられることになったのです。
中門
勅使が通った門です。
本殿に向かう階段
本殿金堂
1971年再建の建物です。
<<奥の院>>
木の根道
本殿金堂からさらに山の奥に入っていき、奥の院魔王殿に向かう参道に木の根道があります。
この一帯は岩盤が固いため、杉の木の根は地の表面を這っています。
少し歩きにくいですが、珍しい風景です。
魔王殿
本殿金堂から西の貴船神社へ抜ける山道の途中、奇岩の上にある小堂。650万年前に金星から地球に降り立ったという魔王尊を祀っています。現在の建物は1945年(昭和20年)の焼失後の再建です。
西門
西門は、貴船側の門で、鞍馬寺本殿金堂へと続くルートはかつて牛若丸が天狗との修行で走った道とされています。山をひとつ越え、坂が急なので登りが鞍馬側、仁王門方面から登るより大変です。
山内神社
由岐神社(ゆきじんじゃ)
鞍馬寺仁王門から登って行く途中にあり、鞍馬寺の鎮守社で、通称・靫明神(ゆきみょうじん)と呼ばれています。
大己貴命(おおむなちのみこと=大国主命)と少彦名命(すくなひこなのみこと)を主祭神として「由岐大明神」と総称し、八所大明神を相殿に祀っています。本殿と拝殿は、豊臣秀頼による再建で、特に拝殿は、割拝殿形式で懸け造りの桃山建築で、国の重要文化財に指定されています。
また由岐神社は「鞍馬の火祭り」で知られており、起源は平安時代中頃・940年、平安京の内裏に祀られていた由岐明神(由岐神社)を都の北方の守護として、また当時頻発した大地震や争いなど相次ぐ世情不安を沈めるために、朱雀天皇(すざくてんのう)の案により鞍馬に遷(うつ)されました。この時、鴨川に生えていた葦を篝火(かがりび)として道々に点灯したほか、遷宮(せんぐう)の行列は1kmにも及んだといいます。これに感激した鞍馬の住民がその出来事と由岐明神の霊験を伝えるために始まったものが起源といわれています。毎年・時代祭と同じ、10月22日の夜に行われています。
案内
〒:601-1111
所在地:京都市左京区鞍馬本町1074
℡:075-741-2003
まめ情報
近くのお店・・・・
京・くらま 林
京都府京都市左京区鞍馬本町338(お近くの駐車場をご利用ください)
℡:075-741-2028
営業時間:9:30~17:00
定休日:水曜日
鞍馬寺の参道に店舗を構える佃煮屋。山椒や木の芽を使った佃煮シリーズは、お土産にも最適です。
京都ならではのお土産の一つでもあります。写真左、それぞれ包装が違います。京都の名所の絵柄がまたお土産に最適です。中身の写真左から木の芽煮630円、山椒こんぶ630円、ちりめん山椒630円です。他たくさんの商品が陳列しています。(2012年 2月)