小堀遠州

小堀遠州(こぼりえんしゅう)

1579年、小堀遠州こと小堀正一(こぼりまさかず)は、小堀正次の長男として現在の滋賀県長浜市にて誕生します。遠州という名は、1604年、従五位下遠江守に任命されたことで、つまり遠江とは静岡県西部地方を示し遠州地方ともいわれることからです。28歳の時、殿舎の造営・修理や土木などの工事に従事する作事奉行に命じられたことをきっかけに、幕府・宮廷関係の各種建築・茶室・庭園の作事にかかわっていきます。茶の湯については、10歳の時、大和郡山で千利休の手前を見て以来関心を持ち、利休没後茶の湯名人となった古田織部(ふるたおりべ)に指導を受けます。晩年は大徳寺に江月宗玩(こうげつそうがん・江戸初期の禅僧で茶人として有名な津田宗及(つだそうきゅう)の子)を招き孤篷庵(こほうあん)を営みます。ここ書院造の茶室、忘筌(ぼうせん)は小堀遠州が好んだ茶の湯の世界が表現されています。1647年、伏見の屋敷にて64年の生涯を終えます。

小堀遠州の庭代表作

京都府京都市: 南禅寺方丈(虎の子渡しの庭)
           南禅寺塔頭金地院(鶴亀の庭)




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