北野天満宮の歴史
北野天満宮(きたのてんまんぐう)は、903年、菅原道真が藤原氏の策謀により、901年大宰権帥に左遷されてそのわずか2年後に大宰府で没することになります。その後、都では落雷などの災害が相次ぎ、これが道真の祟りだとする噂が広まり、御霊信仰と結びついて恐れられました。そこで、没後20年目、朝廷は道真の左遷を撤回して官位を復し、正二位を贈ることになります。その後、神託により現在地の北野の地に朝廷によって道真を祀る社殿が造営されることになりました。
生前の菅公(菅原道真)の清らかで誠実な人柄と晩年の不遇はさまざまな伝説を生み、やがては天神さまと崇められ、現代でも盛んな天神信仰へと展開します。特に幼少のころから多彩な才能の持ち主として現在は特に学業成就や武芸上達に御利益があるといわれ冬は、学生さんなどでにぎわい、また、菅公の命日2月25日に因み毎月25日は後縁日として露天が立ち並び参拝者が絶えません。
宗派・主祭神など
別名: 天神さん、北野さん
宗派: 日本神道
主祭神: 菅原道真公
北野天満宮の見所
三光門(中門)<重文>
豊臣秀頼によって造営され、別名三光門の三光とは、この門に日・月・星の彫刻がある為、三光門と呼ばれれていますが、この彫刻は、日と月はあるが星はないといわれています。これは平安京造営当初の大内裏が千本丸太町にあった為に、旧大極殿が天満宮の南方位に位置し、帝が北野天満宮を遥拝(離れた所から神様を拝むこと)される際に、この三光門の真上に北極星が瞬いていたので星は刻まれていないのだそうです。
この門をくぐって中に入り社殿にお参りすることになります。
社殿(国宝)
北野天満宮の社殿は日光東照宮の御本社と並んで代表的な権現造で本殿、石の間、拝殿、楽の間で合わせて社殿として国宝に指定されています。
御土居(おどい)
豊臣秀吉が京都全体の都市改造の一環として、建造されたもので、「京廻りの堤」と呼ばれた全長約23kmの土塁で京都を守る軍事的城塞です。鴨川の氾濫から市街地を守る防災施設としての役割もありました。この一部が現在でも北野天満宮にも残っており、梅林の梅の見ごろになる頃と秋の紅葉の季節に有料で公開されます。
伴氏社(ともうじしゃ)<重文>
京都三珍鳥居といわれる鳥居の一つで北野天満宮のなかにあり、菅原道真の母を祀った神社です。三珍と言われるのは、柱を支える台座の部分に蓮弁が刻まれていることと、額束も珍しいもので、島木(鳥居の上の横棒)を貫通して笠木まで延びています。この鳥居は鎌倉時代に作られたもので、 重要文化財に指定されています。京都三珍鳥居は・・
・京都御苑内にある厳島神社の唐破風鳥居
・蚕の社、元糺(もとただす)の池の三鳥居
北野天満宮の梅と牛
菅公は梅をこよなく愛し、大宰府左遷の際、庭の梅に「東風(こち)吹かば 匂い起こせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ(「春を忘るな」とも)」と和歌を詠んだことや、その梅が菅原道真を慕って一晩のうちに大宰府に飛来したという飛梅伝説ができたことから、梅が神紋となっています。
北野天満宮に牛がたくさんいるのは、「道真の出生年は丑年である」などさまざまな伝承がありますが、「牛が刺客から道真を守った」というのが和気清麻呂(わけのきよまろ)を祭神とする護王神社や和気神社の猪の伝承との関連性が強く認められるようで、それらの伝承にちなみ北野天満宮には神使とされる臥牛の像が多数置かれています。
案内
〒:602-8386
所在地:京都市上京区馬喰町
℡:075-461-0005
まめ情報
近くのお店・・・・
豆腐料理 とようけ茶屋
京都市上京区今出川通御前西入紙屋川町822 (駐車場はお近くの駐車場をご利用ください。)
℡:075-462-3662
営業時間:10:00~18:30(売店)
11:00~15:00(飲食)
定休日:木曜定休(25日営業/月1回不定休)
写真の料理は湯豆腐膳1150円。このお値段で満腹感を得ることができます。
長五郎餅本舗
京都市上京区一条七松西(お近くの駐車場をご利用ください)
℡:075-461-1074
営業時間:8:00~18:00(売店)
11:00~15:00(お茶席)
定休日:木曜日(毎週)
1587年、太閤秀吉が開いた北野茶会の席で、「河内屋長五郎」が献上したおもちを秀吉が大変気に入り、店主の名から「長五郎餅」となずけたのが始まりで、400年以上続く名品です。
薄い柔らかいお餅で餡をくるんだシンプルなお餅です。店頭では2個入り(写真290円)からあり、お茶席ではお茶とのセットも頂けます。毎月25日天神さんの日は、北野天満宮境内にお茶席を出店しています。(2011年 10月現在)