金閣寺の歴史
正式名称「鹿苑寺」(ろくおんじ)といい、中心となる舎利殿(しゃりでん)を「金閣」、寺院全体を「金閣寺」(きんかくじ)と称します。鎌倉時代1224年、藤原公経(ふじわらのきんつね)<西園寺公経>が西園寺を建立し、代々所有していました。同氏は朝廷と鎌倉幕府の連絡役を務めていましたが、幕府滅亡直後に当主、西園寺公宗が後醍醐天皇を西園寺に招待して暗殺を企てた容疑がかけられ西園寺家の資産は没収されてしまいます。1397年、足利義満は河内国と交換に西園寺を譲り受け改築・新築により「北山殿」を造営しました。ここが政治の中枢となり政務が行われるようになりました。ここを足利義満没後、舎利殿を残して解体され「鹿苑寺」として夢想疎石(むそうそせき)により禅寺として開山されました。昭和25年7月2日学僧の放火により舎利殿(金閣)と仏像等を焼失され、現在の金閣は旧建物の詳細な図面、写真、古文書、焼損材等の資料を使い3年かけて復元された物です。
宗派・本尊など
別名: 鹿苑寺
宗派: 臨済宗 相国寺派(しょうこくじは) 相国寺境外塔頭
本尊: 観音菩薩
ユネスコ世界遺産登録(1994) 京都17寺社
金閣寺の見所
舎利殿(金閣)
通称金閣とよばれる舎利殿は漆地に金箔を押した三層の宝形造の建物です。金箔をはっているのは二層三層のみで、初層は寝殿造風となっています。
金閣と鏡湖池を中心とする庭園(特別名勝・特別史跡)
池泉回遊式の庭園で国の特別名勝・特別史跡に指定されています。
金閣寺垣
四つ目垣の変形種で、竜門瀑より夕佳亭に至る石段や、夕佳亭付近に用いられている竹垣です。縦も横も丸竹を使い、冠竹を用いていて簡素ですが非常に趣のある竹垣です。
厳下水(がんかすい)
室町幕府3代将軍、足利義満公が手洗いに用いたと言われています。
銀河泉
足利義満公がお茶の水に使っていたと言われており、今も清らかな水が涌いています。
夕佳亭(せっかてい)
金森宗和好みの茶室で明治初期に焼失して再建されたものです。
塔頭寺院
金閣寺は相国寺の境外塔頭寺院です。
その他
京の三閣
銀閣寺の銀閣、西本願寺の飛雲閣と金閣寺の金閣で京の三閣と言われています。
金閣寺焼失事件
1950年7月2日未明金閣寺の学僧によって放火され、当時国宝だった金閣(舎利殿)は炎上し、その他、木像10体も焼失してしまいました。その放火理由に学僧は、『金閣寺の優美さに反感を抑えきれなかった。』でした。
本人は、自殺未遂、母は面会の帰りに保津峡の列車内から投身自殺してしまうという悲しい事件です。母は、死の直前息子の事を国賊ですと漏らしていたと言います。後に、作家、三島由紀夫の『金閣寺』、水上勉の『金閣寺炎上』の題材にもなっています。その後、金閣寺は寄付を募り1955年(昭和30年)に復元・再建されることになったのです。
案内
〒:603-8361
所在地:京都市北区金閣寺町1
℡:075-461-0013