永平寺の歴史
永平寺(えいへいじ)は、曹洞宗(そうとうしゅう)の宗祖・道元(どうげん)が開いた寺院です。その道元は、1200年京都に生まれ14歳で延暦寺に出家し24歳で中国に渡り、そして、天童山如浄禅師(にょじょうぜんし)について厳しい修業を行い、お釈迦様から伝わったとされる「坐禅」という仏教の教えを勉強して日本に帰国します。
帰国後、京都で興聖寺(こうしょうじ)を建立しましたが、旧仏教勢力の延暦寺から激しい迫害を受けます。
その後、越前国(福井県)の土豪・波多野義重(はたのよししげ)の要望もあり、1243年現在の永平寺を開くことになります。
1340年兵火で伽藍を焼失し、1473年応仁の乱の最中にも火災に見舞われ、現存の諸堂は近世以降のものです。
正式名・本尊など
宗派: 曹洞宗 大本山
本尊: 釈迦牟尼仏・弥勒仏・阿弥陀仏
永平寺の見所
永平寺・勅使門
老杉の奥に見える門が勅使門です。1839年の建築で、細部に彫刻が施されています。
山門
修行僧が正式に入門する永平寺の玄関に当たります。
中雀門(ちゅうじゃくもん)
中雀門は、山門と仏殿の中間に位置します。入母屋造銅板葺の腰屋根を持つ二重門で、下層は幹唐破風です。
仏殿
古来禅宗では伽藍の配置を人の体にあてはめます。即ち、頭が法堂(はっとう)、心臓が仏殿(ぶつでん)、左手が庫院(くいん)、右手が僧堂(そうどう)、腰が山門(さんもん)、左足が浴室(よくしつ)、右足が東司(とうす)です。 ここ仏殿には、永平寺の本尊が祀られています。須弥壇(しゅみだん)中央には釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)、右に弥勒仏(みろくぶつ)、左に阿弥陀仏(あみだぶつ)を配しそれぞれ現在・未来・過去を表しています。
法堂(はっとう)
永平寺の伽藍で一番高い所にあります。 聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)が祀られています。
五代杉と鐘楼
山門から勅使門に至る間のうっそうとした老杉を五代杉といいます。
案内
〒: 910-1228
住所: 福井県吉田郡永平寺町志比5-15
℡: 0776-63-3102