吉野水分神社の歴史
吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)の創建は不詳ですが、文武天皇の時代(藤原時代)に雨乞いをした記述が『続日本紀』にあります。元々は、現在の場所よりさらにずっと奥にある三つの川の源流である大峰山脈の北部で、吉野山最南端の青根ヶ峰にあったとされます。また、「みくまり」がなまって「みごもり」になり平安時代中期には「子守り明神」と呼ばれるようになりました。葛城水分神社、都祁水分神社(つげみくまりじんじゃ)、宇太水分神社と並んで大和国四所水分社として古くから信仰されてきました。
宗派・主祭神など
宗派: 日本神道
主祭神: 天之水分大神(あめのみくまりのおおかみ)
ユネスコ世界遺産(2004) 紀伊山地の霊場と参詣道
吉野水分神社の見所
鳥居・楼門(重文)
道路脇に鳥居があり、階段の上に楼門があります。
吉野水分神社社殿(重文)・境内
楼門をくぐると中庭の様な空間が広がります。左手に拝殿(重文)、正面に幣殿(重文)、右手が本殿(重文)になり、めったに見ない形式です。子宝に恵まれなかった豊臣秀吉が、こちらの神社で祈願すると息子秀頼が生まれたといいます。そのお礼として後年、秀頼が吉野水分神社の社殿を再建したという事です。社殿はその時のものだそうです。
本殿(重文)
三棟のうち中央は春日造で左右が流造の連結した連棟形式で、屋根は檜皮葺です。
案内
〒:639-3115
所在地:奈良県吉野郡吉野町吉野山1612
℡:0746-32-3012