淀川の歴史
淀川(よどがわ)は、琵琶湖(びわこ)を水源とし大阪湾まで流れる川ですが、滋賀県では、瀬田川、京都では宇治川と呼ばれ、京都と大阪の境目の大山崎で木津川と桂川に合流する背割堤(せわりてい)より下流が、淀川と一般的に呼ばれますので、ここでは大阪府の淀川という事で紹介させて頂きます。淀川は昔より商都大阪と都の京都を船で結ぶ重要な道になっていました。江戸時代には、大阪の道頓堀から京都四条河原町まで伏見経由で船で行け、高瀬川沿いにある各藩邸(かくはんてい)にも船のまま入る事も出来たのです。昔は、淀川の両岸には葦(あし・よし)が非常に多く生息していたそうですが、今では少なくなってしまいました。近年、水質は改善されるようになり自然も徐々に回復しつつあるそうです。
淀川水系の見所
淀川河川敷
高槻市辺りから大山崎方面にかけて毎年4月頃河川敷は菜の花畑になります。
淀川河川敷
大阪市内西淀川区の河川敷から大阪梅田方面の眺めです。
淀川水系
大阪市北区淀屋橋より淀川水系・土佐堀川の眺め
案内
住所: 滋賀県琵琶湖~京都府~大阪府大阪湾まで