和歌山城の歴史
和歌山城は徳川御三家の1つ紀州藩の居城でしたが、もとは豊臣秀吉が築城を命じたものでした。しかし、関ヶ原の戦いで勝利した東軍の持ち物となり浅野幸長が軍功により城主となりました。その後、徳川家康の十男頼宜が入城することになり御三家の紀州徳川家が成立することになったのです。築城から何度か火災で再建、改修をしていますが、戦前には、国宝に指定されました。しかし、アメリカ軍による和歌山大空襲により天守閣などの指定建造物すべてがが焼けてしまい現在のものは昭和32年建造の鉄筋コンクリート製です。
別名
別名: 虎伏城、竹垣城
和歌山城の見所
紅葉渓庭園〈もみじだにていえん〉(和歌山城西の丸庭園)「名勝」
江戸初期西の丸御殿とともにつくられた日本庭園で藩主の隠居所だった所です。
紅葉渓庭園(名勝)・鳶魚閣
天守と同じく空襲で焼けてしまい、図面をもとに鳶魚閣も再建されましたが、実際には現在の場所ではなくもう少し池の中央に位置する事が判明したそうです。
和歌山城(史跡)と御橋廊下(おはしろうか)
江戸時代藩主とお付きの者だけが、二の丸と西の丸の庭園を行き来する為につくられた橋で、外からは見えないつくりになっており、斜めにかかる橋としては非常に珍しいもので、滑り止めの段差もつけられています。(実際にすべります) 実際に、歩くこともできます。
案内
〒:640-8146
所在地:和歌山県和歌山市一番丁3
℡:073-422-8979