寺田屋

寺田屋の歴史

寺田屋は、もともと船宿で横の川に船を横付けにして旅館に上がれるものでした。幕末、薩摩藩士や坂本龍馬の常駐宿でこの場所で歴史的出来事(寺田屋事件・坂本龍馬襲撃事件)がたびたび起こったことでも知られています。現在の建物は2008年、京都市の調査で寺田屋は幕末の鳥羽・伏見の戦いで消失しており、再建したものであるとわかりました。又、その当時の建物は、現在の場所ではなく、右隣の小庭がありますが、その場所にあったとされています。



寺田屋の見所

寺田屋旅館

寺田屋は、昼間は一般公開されており、又、現在でも旅館として宿泊(素泊まりもしくは朝食付き)<2011年現在>できるのです。

寺田屋
                                           






寺田屋
                                           






寺田屋
                                           






寺田屋
                                           






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寺田屋・弾痕
                                           






寺田屋
                                           






その他

寺田屋事件

幕末、1862年寺田屋旅館にて、もともと尊王派の薩摩藩主の島津久光の考えに不満だった薩摩藩の過激派、有馬新七らが京都所司代酒井忠義邸などを襲撃することを決め寺田屋に集結しました。薩摩藩邸からこの動きを止めようと彼らと同じ尊王派の藩士を送り込んで藩邸に連れ帰りそこで藩主(島津久光)自らから説得しようとしたのですが、激しく抵抗、斬りあいになり計、有馬新七以下7人死亡(討手は内1人)、2人重傷(切腹させられる)となった事件です。




坂本龍馬襲撃事件

幕末、1866年幕府側からマークされていた坂本龍馬は、薩摩人として長州の三吉慎蔵とともに寺田屋に宿泊していましたが、ある日の深夜外で物音がざわざわするのでお風呂に入っていた妻お龍が外をのぞいたら、伏見奉行の捕り方が100人以上いることに驚き裸のまま二階に上がり知らせました。坂本龍馬は拳銃などで応戦し数名を殺傷、追ってから命からがら逃げました。三吉慎蔵は伏見の薩摩藩邸に逃げ込み救援を求め龍馬は助けられます。その後、薩摩藩邸は龍馬の引き渡しを拒否し続け、龍馬を大阪から薩摩に逃がしたのです。



寺田屋・風呂
                                           






案内

〒:612-8045
所在地:京都市伏見区南浜町263
℡:075-622-0243

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寺田屋・庭
                                           




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