泉涌寺(御寺)

泉涌寺(御寺)の歴史

泉涌寺(せんにゅうじ)は、草創の時期や事情についてはあまりあきらかになってないのですが、856年左大臣、藤原緒嗣が自らの山荘に神修上人を開山として草創。当初は法輪寺と称し、後に仙遊寺と改めたといいます。平安時代初期に草創された前身寺院が平安時代後期には荒廃していたのを、鎌倉時代に再興したものと思われます。宇都宮信房が、荒廃していた仙遊寺に寄進し大伽藍を造営すると霊泉が涌いたので泉涌寺と改めたそうです。 1224年には後堀川天皇により皇室の祈願寺とされました。後堀川天皇と次の四条天皇の陵墓は泉涌寺内に築かれ、その頃から皇室との結びつきが強くなりました。れが、御寺(みてら)と呼ばれるようになった由縁です。



宗派・本尊など

別名:  御寺(みてら)
宗派:  真言宗 泉涌寺派
本尊:  釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒如来の三尊仏


泉涌寺の見所

仏殿(重文)
仏殿に運慶作の阿弥陀・釈迦・弥勒の三尊仏が安置されています。仏殿に向かって下っていく形式は非常にまれです。門のあたりに立ってちょうど仏様と目線が合わせれる配慮がされているそうです。

泉涌寺・仏殿
                                        






楊貴妃観音
唐の玄宗皇帝が妃・楊貴妃の死を悼んで観世音菩薩像(重文)を作り泉涌寺に請来されといわれています。長らく100年に一度だけ公開する秘仏でありましたが、昭和30年より一般公開されています。

泉涌寺・楊貴妃観音堂
                                                楊貴妃観音堂






御座所庭園(ござしょていえん)
明治天皇より御所内の建物が移築されたものです。

泉涌寺・御座所庭園





泉涌寺・御座所庭園





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その他

天皇家とのかかわり
1242年四条天皇が葬られてから歴代天皇の山稜が営まれています。四条天皇をはじめ後水尾天皇、仁孝天皇までの25陵、5灰塚、9墓が営まれおり、皇室の菩提寺となり御寺と呼ばれるようになりました。



月輪未生流(つきのわみしょうりゅう)
歴代皇族への献華が始まりで、泉涌寺で創流され泉涌寺の歴代長老が家元を継承する華道の流派です。



案内

〒:605-0977
所在地:京都市東山区泉涌寺山内町27
℡:075-561-1551


地域別日本遺産








泉涌寺・境内
                                           




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