夢窓疎石

夢窓疎石(むそうそせき)

1265年、現在の三重県で誕生。幼少時に出家し天台宗、真言宗を学び、その後臨済禅を学びます。後醍醐天皇、北条氏の帰依を受け1330年には甲斐の恵林寺、1333年鎌倉幕府滅亡後は2度目の南禅寺の住持を務め、臨川寺(天龍寺塔頭)・西芳寺の開山に迎えられます。この時、夢窓国師と国師号も授かります。足利尊氏の時代、室町幕府となってからは、夢窓国師の勧めで全国に後醍醐天皇を弔う安国寺を建立するなど尊氏との縁も深まっていきます。その後京都嵯峨野に天龍寺を開山し、天龍寺船にて貿易を促進し、その建設費調達にも力を発揮。造園術にもすぐれ天龍寺、西芳寺などの築庭をするなど。現在この二つは世界遺産に登録されています。7度にわたり国師号を歴代天皇から賜与され、七朝帝師とも称される夢窓国師は、1351年76歳でその生涯を閉じました。

夢窓疎石の庭代表作

京都府京都市: 西芳寺(世界遺産)
           天龍寺(世界遺産)
          等持院

などがあります。



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