旧開智学校の歴史
旧開智学校(きゅうかいちがっこう)は、1873年(明治6年)に長野県松本市にあった旧制小学校で廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で廃寺となった全久院の建物を仮の校舎として第二大学区筑摩県管下第一中学区第一番小学開智学校として開校しました。新校舎は明治9年4月に全久院跡地に竣工し、昭和38年3月まで約90年間使用され、日本で最も古い小学校の一つで、和洋混交の擬洋風建築で逆L字型の建物でした。工事費は、当時のお金で1万1千余円の巨額なもので、そのおよそ7割を松本町全住民の寄付により調達し、残り3割は特殊寄付金及び廃寺をとりこわした古材売払金などで調達したそうです。現在の建物は、当時の建物を現場所に移築してきたものです。
旧開智学校の見所
旧開智学校(重文)
当時の建物は、逆L字型で、昭和39年に移築・復元されましたが、L字の部分は復元されてません。その為か、正面からよく見ると左右対象ではありません。
学校教室内
当時の様子がうかがい知れるように当時の品がそのまま展示されています。。
案内
〒: 390-0876
住所: 長野県松本市開智2-4-12 博物館 重要文化財旧開智学校管理事務所
℡: 0263-32-5725