後楽園の歴史
岡山後楽園(こうらくえん)は、今から300数年前に岡山藩2代藩主池田綱政(いけだつなまさ)が藩主のやすらぎの場として造営させた元禄文化を代表する大名庭園です。江戸時代初期・1687年に着工し14年の歳月をかけて1700年に完成しました。岡山市内を流れる旭川をはさみ、岡山城の対岸の中州に位置します。藩主が賓客をもてなした建物・延養亭(えんようてい)を中心とした池泉回遊式の庭園で岡山城や周辺の山を借景としており、江戸時代には延養亭を茶屋屋敷、庭園を「後園」または「御後園」と呼んでいましたが、1871年(明治4年)園内を一般開放するにあたって、「後楽園」と名称を変更しました。現在では、国の特別名勝庭園に指定され日本三大庭園としても知られています。
後楽園の見所
後楽園(特別名勝)
後楽園は、金沢の兼六園(けんろくえん)、水戸の偕楽園(かいらくえん)とならぶ日本三名園の一つで、庭園内を歩いて観賞できる池泉回遊式庭園です。
延養亭(えんようてい)
藩主の居間で、園内で最も重要な建物でしたが、戦災で焼失し、昭和35年に築庭当時の間取りに復元されました。園内外の景勝が一望できるように作られており、歴代藩主もここから眺めたそうです。
廉池軒(れんちけん)
戦災をまぬがれた数少ない建物の一つで、池に架かる石橋や対岸の小島なども、往時の姿を今に伝えています。
唯心山(ゆいしんざん)
唯心山は池田綱政(いけだつなまさ)の子、継政(つぐまさ)の時に築かれ、平面的だった庭園が立体的な景観へと変化しました。
流店(りゅうてん)
中央に水路を通し、色彩に富んだ奇石六個を配した全国的にも珍しい建物です。藩主の庭廻りや賓客の接待などで、休憩所として使われました。戦災をまぬがれた建物の一つで、簡素なたたずまいを今に伝えています。
観騎亭(かんきてい)
藩主が、家臣の乗馬の技を観る為の建物で馬場側にも窓が開いています。馬場の長さは180mでここで乗馬のけいこに励みました。また、この建物も戦災を逃れた建物です。
他・後楽園の景色
案内
〒: 703-8257
住所: 岡山市北区後楽園1-5
℡: 086-272-1148