光悦寺の歴史
京都の北の鷹峯三山(鷹ヶ峰、鷲ヶ峰、天ヶ峰)の谷を挟んで、その風景を見渡すことのできる場所に光悦寺(こうえつじ)はあります。江戸時代初期、徳川家康が本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)に野屋敷として与えた土地に、光悦は親戚縁者をはじめ、様々な工芸に携わる多くの職人と共に住居を構え光悦を中心とした工芸集落を営みました。当時、本阿弥家の祖先の供養の為の霊屋として位牌堂を設けていましたが、光悦の死後それが、現在の光悦寺として歴史を刻んでいます。
宗派・本尊など
宗派: 日蓮宗
本尊: 十界大曼荼羅
光悦寺の見所
光悦垣
光悦寺にある竹垣で、本阿弥光悦が創作した竹垣です。竹を細く割って丸く束ね、これを半月形に長く曲げ、その中に菱格子の竹を組んだものです。
三巴亭
光悦寺には、茶室が7つありますが、そのいずれも大正時代に建てられたものです。大正10年に建てられた数奇屋建築で、八畳2室、水屋等からなり、北西の八畳は光悦堂と呼び、仏壇には光悦の木像を安置しています。
本阿弥庵
光悦寺の7つある茶室の1つです。
大虚庵
大虚庵は、光悦が鷹ヶ峰に営んだ居室の名称です。
道具商・土橋嘉兵衛の寄付、速水宗汲の設計ですが、建設後に光悦会によって改造されており、正面入口の貴人口(障子3枚立て)がにじり口に変更されました。
了寂軒
光悦寺の7つある茶室の1つです。
鷹ヶ峯
光悦寺から、谷を挟んで鷹ヶ峰、鷲ヶ峰、天ヶ峰があります。
昔から、光悦寺付近一帯は鷹ヶ峰と呼ばれていました。そして、光悦寺はどこかお寺と言うより、山荘と言ったほうがいいような雰囲気に包まれています。
左、鷹ヶ峰(花札の八月の絵柄ボウズは鷹ヶ峰を模したものです)・右、鷲ヶ峰
その他
寛永の三筆
本阿弥光悦は、多くの優れた遺品があり、近衛信尹、松花堂昭乗とともに寛永の三筆と呼ばれています。
案内
〒:603-8466
所在地:京都市北区鷹峯光悦町29
℡:075-491-1399