補陀洛山寺の歴史
補陀洛山寺(ふだらくさんじ)は、第16代天皇・仁徳天皇(にんとくてんのう)の時代(A.D.313~399)にインドから熊野の海岸に漂着した裸形上人(らぎょうしょうにん)によって開山されました。補陀洛は観音浄土で、観音浄土である補陀洛山へと小舟で補陀洛山寺のすぐそばの那智の海から南の海に旅立つ宗教儀礼「補陀洛渡海」(ふだらくとかい)で知られる寺院でした。中世日本では、南の海に補陀洛浄土があると考えられていたからです。補陀洛山寺は、1808年の台風でほとんどの堂宇を失い本堂も仮本堂でしたが、1990年現在の本堂が再建されました。
宗派・本尊など
宗派; 天台宗
本尊: 三貌十一面千手千眼観音(さんみゃくじゅういちめんせんじゅせんげんかんのん)
ユネスコ世界遺産(2004) 紀伊山地の霊場と参詣道
補陀洛山寺の見所
本堂と境内(史跡)
本堂は、室町様式の高床式四方流宝形型の1990年の再建です。また、境内は熊野三山の一部で史跡として指定されています。
その他
補陀洛渡海(ふだらくとかい)
補陀洛渡海とは補陀洛山寺のすぐそばの那智の海から小さな屋形船に乗る時に外から釘で打ち付け、南の海にあったとされる補陀洛山(南方補陀洛浄土)を目指すことを言います。平安時代から鎌倉時代までは本気で補陀落往生を求めて渡海していたそうですが、室町時代以降、儀式化したようで補陀洛山寺の住職は60歳くらいになると、渡海する習わしになっていたそうです。その年を過ぎても渡海しない場合は信者に後ろ指を指されたといわれます。江戸時代には、生者の渡海は行われなくなり、代わって、補陀洛山寺の住職が死亡した場合、あたかも生きているかのように扱って、かつての補陀落渡海の方法で水葬を行うようになったそうです。
案内
〒:649-5314
所在地:和歌山県東牟婁郡那智勝浦町浜ノ宮348
℡:0735-52-2523