平城宮跡の歴史
平城京は、710年、女性の元明天皇により明日香の藤原京から遷都して784年の長岡京に遷都するまでの間70年あまりを都として栄えました。この頃を一般的に奈良時代といいますが、唐の都、長安(現、西安)にならって碁盤の目状の都(平城京)をつくりました。この都の中には皇居(平城宮)や貴族、役人の住居、大寺院が建ち並んでどんどん発達していきました。平城京は人口10万人で高級役人100人、中級役人600人で特にそれらの貴族や役人の住居や役所や寺院などは朱色の柱に白壁、瓦屋根で、その当時の小野老は「青丹(あおに)によし寧楽(なら)(奈良)の都は咲(さ)く花の にほふ(おう)がごとく今盛(さか)りなり」とその当時の様子を歌にしました。都が京都に移り1200年、そしてさらに東京に移り、奈良の平城京は土の中に埋もれていくことになりました。特に最近になってその当時の遺跡や庭園、建造物や都の姿も明らかになってきており、平城京の中の平城宮跡の部分の復興をすすめていく事業も進み、特別史跡として指定もされ誰にでも見学できるようになっています。
遺産登録など
ユネスコ世界遺産登録(1998) 古都奈良の文化財
平城宮跡の見所
朱雀門
朱雀門は平城宮の正面にある南向きの門です。
第一次大極殿
朱雀門から真北に800m行った所にある巨大な宮殿です。当時、天皇の即位式や外国使節との面会など、国のもっとも重要な儀式のために使われていました。
第一次大極殿を復元するにあたって一番の問題は、当時の設計図や参考になるような絵画などが残っていないことでした。そのため、発掘調査で判明している基壇や恭仁宮の大極殿(国分寺金堂)の跡に残る礎石の状態などから大極殿の大きさ、形を推定しています。わずかに残る文献や法隆寺金堂、薬師寺東塔など、同時代の寺院建築も参考にして復元されているのです。
高御座(たかみくら)
天皇の位を象徴する玉座です。第一次大極殿に展示されています。
東院庭園(特別名勝・特別史跡)
当時、皇太子の宮殿があった場所で東院(東宮)と呼ばれていたそうです。そして、奈良時代の庭園をここに見ることができます。(ボランティアの方に説明して頂けます。)
案内
〒:630-8012
所在地:奈良県奈良市二条大路南4丁目6番1号 「平城宮歴史館」
℡:0742-35-8201