原爆ドームの歴史
原爆ドーム(げんぱくどーむ)は、1915年「広島県物産陳列館」として、チェコ人の建築家ヤン・レッツェルがネオ・バロック的な骨格にゼツェシオン風の細部装飾を持つ混成様式の建物を設計したもので、ドームの先端までの高さが、約25mある建物でした。1945年8月6日・午前8時15分アメリカ軍のB-29爆撃機「エノラ・ゲイ」が、建物の西隣に位置する相生橋を投下目標として原子爆弾を投下しました。投下43秒後、爆弾は建物の東150メートル・上空約580メートルの地点で炸裂したのです。ドーム部分は全体が押し潰される程の衝撃を受けなかったため、爆心地付近では数少ない被爆建造物(被爆建物)として残りました。その後、「広島県物産陳列館」は、原爆の悲惨さを語る建造物(原爆ドーム)として、世界遺産に登録(負の遺産といわれています)され、悲惨な出来事は語りつがれ続けていくのでしょう。
遺産登録など
ユネスコ世界遺産登録(1996) 原爆ドーム (世界文化遺産)
原爆ドームの見方
原爆ドーム(史跡)
原爆ドームでは、原爆の悲惨さを語り継ぐボランティアの語り部の方々に、当時の話を聞くことができ案内して頂けます。
爆心地
当時、原爆はこの建物の上空、約580mで炸裂しました。
案内
〒:730-0051
所在地:広島県広島市中区大手町1-10
℡:082-247-6738 (広島市観光案所)