圓徳院

圓徳院の歴史

豊臣秀吉の側室北政所(きたのまんどころ)寧々(ねね)は、「高台院」の号を勅腸されたのをきっかけに高台寺建立を発願し、秀吉との想い出深い伏見城の化粧御殿と前庭を移築して移り住んだと言われているのが高台寺塔頭の圓徳院(えんとくいん)です。ねねは77 歳で没するまでこの圓徳院で過ごされました。小堀遠州(こぼりえんしゅう)によって手が加えられたとされる伏見城から移築した前庭や、国重要文化財の長谷川等伯によって描かれた「冬の絵」を鑑賞することができます。



宗派・本尊など

宗派:  臨済宗 建仁寺派
本尊:  釈迦如来

圓徳院の見所

唐門
上部の曲線になっている部分を破風といい、位の高い人を迎えるための門です。 唐破風の付いた門を総称して唐門を言います。

圓徳院・唐門
                                           






北庭(名勝庭園)
賢庭作で後に、小堀遠州により手が加えられたものとされています。 池泉回遊式庭園ですが枯山水で、国の名勝に指定されています。桃山時代当時の原型をほぼとどめている代表的庭園です。

圓徳院・北庭
                                           






圓徳院・北庭
                                           






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塔頭寺院

圓徳院は高台寺の塔頭寺院です。高台寺は、ねねの道をはさんで東側にあります。



その他

三面大黒
寧々(ねね)の夫、豊臣秀吉は三面大黒天を信仰していました。三面大黒天は大黒天、毘沙門天、弁財天の三つの顔を持った仏様です。一度で三度お得といった考え方でしょう。

圓徳院・北庭
                                           






長谷川等伯『冬の絵』(重文)
大徳寺の塔頭・三玄院の住職春屋宗園に襖絵制作を許されなかった等伯が、ある日、住職が2か月の旅に出かけて留守であることを知ります。名をあげたかった等伯が客殿に上がり込み一気に描きあげてしまったものだと伝えられています。全36面の襖絵のうち、「夏の絵」「冬の絵」など32面を所蔵しています。松の枝が下を向いているのは長谷川等伯が雪国出身(石川県出身)で雪が積もることにより、普段から松の枝が下を向いていたからです。



案内

〒:605-0825
所在地:京都市東山区高台寺下河原町530
℡:075-525-0101

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地域別日本遺産









圓徳院・唐門
                                           




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