永観堂

永観堂の歴史

永観堂は863年、弘法大師の高弟・真紹僧都(しんしょうそうず)が清和天皇から寺院建立の許可をもらい真言宗の禅林寺という名を頂きました。それから、200年後の永観律師(ようかんりっし)の頃、禅林寺は大きく発展しました。律師は境内に施療院を建てて、恵まれない人々に奔走し、永観律師を慕う人たちにより、禅林寺は永観堂と呼ばれるようになります。鎌倉時代の僧侶、静遍僧都(じょうへんそうず)は浄土宗の考え方に否定的でしたが、法然上人の著書を読むと自分が間違っているのではと思うようになり、法然上人の弟子の証空上人を次の住職として招きます。証空のあとの浄音の時代に永観堂は、真言宗から浄土宗西山派に改宗し念仏道場となりました。



宗派・本尊など

別名:   無量寿院禅林寺
宗派:   浄土宗、西山禅林寺派 総本山
本尊:   阿弥陀如来        

永観堂の見所

阿弥陀堂

御影堂より一段高い敷地に位置する、17世紀初め頃の建築です。本尊の『みかえり阿弥陀像』が安置されています。


                                           






境内

紅葉の名所として知られ、古くより「秋は紅葉の永観堂」といわれています。


                                           







                                           






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その他

みかえり阿弥陀

夜を徹して修行をしている永観律師がふと人影を感じた時に「永観遅し!」 と永観堂の御本尊が永観を見つめられていたといわれています。 そのときのまま阿弥陀様は、左を向いた状態でおられるのです。




永観堂の七不思議

『抜け雀』
古方丈の欄干に書かれていた雀の絵が一羽少なくなってるそうで、抜け出していったと伝えられています。

『悲田梅』
永観律師衆生を救うために植えた梅林の中で一本だけ現在まで残っています。

『臥龍廊』
開山堂に続く階段廊下は極端に湾曲し龍の様にみえます。

『三鈷の松』
臥龍廊の手前にあるは葉が三本に分かれしかも長いのです。古来財布に入れるとお金が貯まるとか、箪笥にいれると服がたまると言われます。

『木魚蛙』
境内に棲む蛙の鳴き声が木魚を叩いているように聞こえます。しかし、その声を聞いた人は沢山いるのですが、姿をみた人は、一人もいないらしいのです。

『火除けの阿弥陀如来』
応仁の乱や数々の戦火でお堂が焼けてもこの阿弥陀様だけは焼け残っています。

『岩垣紅葉』
永観堂裏の急斜面から生えている紅葉。昔、この地に住んでいた藤原関雄の歌にちなんで岩垣紅葉といわれます。

案内

〒:606-8445
所在地:京都市左京区永観堂町48
℡:075-761-0007

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