大覚寺

大覚寺の歴史

平安時代初期、嵯峨天皇は后の新居として嵯峨院を建立され、これが大覚寺(だいかくじ)の前進・嵯峨離宮です。 ここに空海が五大明王を安置する堂を建て修法を行ったのが起源となります。 876年嵯峨天皇の長女・正子内親王が嵯峨院を大覚寺と号し、初代門跡に恒寂入道親王(嵯峨天皇の孫)を迎えられました。 その後、後嵯峨上皇、後宇多法皇が大覚寺門跡となられ、後宇多法皇の皇統は上皇が大覚寺に住まわれたことから大覚寺統(南朝)、後深草天皇の系統を持明院統(北朝)と両統の対立が南北朝の分裂につながりました。 しかし南朝最後の天皇、後亀山天皇により北朝の後小松天皇に「三種の神器」が引き継がれたこともここ大覚寺で行われ、南北の講和となりました。 戦国時代、応仁の乱でほとんどの堂を焼失しましたが、江戸時代初期にはほぼ寺観が整いました。 現在、嵯峨天皇と空海の国家の安泰、国民の平和に対する祈願を受け継ぎ、般若心経の根本道場として多くの人々に親しまれています。



宗派・本尊など

別名:   旧嵯峨御所大覚寺門跡、大覚寺門跡、旧嵯峨御所
宗派:   真言宗 大覚寺派 大本山
本尊:   不動明王ほか五大明王



大覚寺の見所

式台玄関
正面に銅板葺きの唐破風を備えています。

大覚寺・式台玄関
                                        






勅封心経殿
大正14年、後宇多法皇600年、後亀山天皇500年の御遠忌記念事業として、法隆寺の夢殿を模して建立されたました。

大覚寺・勅封心経殿
                                        






勅使門
1848~1854年の再建です。

大覚寺・嵯峨菊と勅使門
                                        






大沢池(名勝)
嵯峨天皇が、中国の洞庭湖を模して造られたといわれ日本最古の人工の林泉です。国の文化財として名勝に指定されています。

嵯峨菊と大沢の池
                                        






名古曽滝跡(名勝)
離宮嵯峨院の滝殿庭園内に設けられたものです。大沢池と共に名勝に指定されています。



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その他

嵯峨御流
大覚寺発祥の華道の流派で、嵯峨天皇の自然や草木に対する慈しみの心、花を手向けるという思いが嵯峨御流の礎になっています。




時代劇
大覚寺は、昔から特によく時代劇の撮影で使われており、最近では、「必殺仕事人2009」、「水戸黄門シリーズ」、「鬼平犯科帳スペシャル」、「最後の忠臣蔵」、「武士の家計簿」、「刺客請負人2」などで撮影場所として使われています。



案内

〒:616-8411
所在地:京都市右京区嵯峨大沢町4
℡:075-871-0071



地域別日本遺産









大覚寺境内
                                        




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